わたしの生理 Vol.039 - 「生理だから仕方ない」 隠して、耐えて、生きてきた時間 仕方ないを手放したら、世界が変わった
MARIN TANABEさん 24歳 オーストラリア修行中
初経:小学6年生(11〜12歳)
現在の平均生理日数:なし(ジエノゲスト服用中)
現在の平均生理周期:なし(ジエノゲスト服用中)
現在使っているサニタリーグッズ:ジエノゲストによる不正出血のときは小さめナプキンやおりものシートを使用
- 生理はどんな日でしたか?
病院に行く前は、恐怖と地獄の日々、心から来ないでほしいと思う日、痛い日。
病院に行って薬を飲み始めてからは、痛みが減って、前ほどの恐怖はなくなった。
- 生理と聞いて浮かぶイメージは?
血。痛い。ミュージュシャンのAlanis Morissette(彼女の声や楽器の音が生理痛を想起させる)、ミュージュシャンのHalsey(本人が子宮内膜症を患っていたこと、叫ぶ表現が生理を連想させる)
- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?
初経は小学校年生の頃でした。当時のことはあまり覚えていません。自分にとってそれほど衝撃的な出来事ではなかったからだと思います。周りの友達とも「来た?」とか「そろそろじゃない?」と話していて、母や学校から教えてもらった知識もそこそこあり、心構えができていたからか、実際に来たときも驚くことはありませんでした。
小学生時代の生理で鮮明に覚えているのは、学校で漏れてしまったことです。当時、教室にある自分の椅子に防災頭巾をセットして座布団のように使っていたのですが、経血が漏れて、防災頭巾に血が付いてしまったんです。たまたま赤いワンピースを着ていたので服のシミは認識できなかったのですが、防災頭巾についた経血のシミは、隠せるようなもの状態ではなくて、どうやって家に持ち帰って洗おうかと焦りました。日頃、防災頭巾を持ち帰る習慣はないので自分だけ急に持ち帰えったら、周りの人に気づかれるかもしれないと思ったんです。ヒヤヒヤしながらも、どうにか持ち帰ることができたのですが、再び学校に持参したときに、男性の担任が気づいて「どうした?」と聞かれてしまいました。生理のことは言えず、適当にごまかしました。誰に言われたわけでもないのですが、生理は「恥ずかしいこと」「隠したほうがいいもの」という意識が、芽生えていたと思います。
その意識は他の場面でもあらわれていて、例えば、学校や公共のトイレでナプキンを取り替えるときは、ナプキンを隠して持ち運んだり、袋を開けるときのバリッという音を立てないようにいつも神経を尖らせていました。
一方、家はオープンに話せる環境でした。普段から母とお風呂に入っていたので、初経以前から母の経血をお風呂場で見る機会もあり、自然なかたちで生理のことを教わっていました。血が流れてくること、お腹が痛くなること、ナプキンを使うことなどを母から教わりました。
- 小学校を卒業してからはどんな変化がありましたか?
中学に入ると、生理を経験している人が増えたので、「今日は2日目だからプールの授業休む」とか「今、生理中」といった会話を女子同士で自然にできるようになりました。ただ、共学だったので、ナプキンはタオルに包んだり、ポケットに入れたりと隠しながら持ち歩いていました。
部活はソフトテニス部で、炎天下の厳しい練習が続く日々。中学生になってから生理痛が出るようになって、お腹が痛くて起きられない日もありました。でも「生理で休むのは良くない」と思って、無理して行くことも多かったです。
その頃から経血に血の塊が混じるようになったり、夜用ナプキンでも間に合わないほどの出血量になるなど、生理がどんどんつらいものになっていきました。
母は子宮筋腫を経験していて、生理痛がかなり重い人でした。だから、痛み止めの飲み方を母によく相談していました。「あまり無理しないで」と言ってくれる母の言葉に救われつつも、「生理ってこういうものだから仕方ない」と思い、婦人科に行ってみるという発想はまったくなかったです。
- 中学校を卒業してからは、どんな道に進みましたか?生理の変化はありましたか?
高校は女子校に進みました。これまでの「隠さなきゃ」という緊張感がなくなり、解放された気分でした。生理用品を忘れた子にナプキンを投げて渡したり、体育座りをしているときに「もし漏れてたら教えてね」と友達同士で声をかけ合ったり。すごくオープンな雰囲気でした。
ただ、高校生になってから生理痛はさらに重くなり、椅子に座っていることすらつらいときもありました。レバー状の経血も増えて、「自分は異常なのかも」とうっすら感じ始めました。それでも婦人科を受診するという発想はなく、痛み止めでやり過ごす日々。病気ではなく“仕方ないもの”と思っていたことはこのときも変わりませんでした。
- 高校卒業後のことを聞かせてください
大学は美大に進学しました。再び共学になりましたが、女子校時代に培ったオープンさもあって、生理の話題を男女問わず話せるようになっていました。
一方で、生理痛はさらに深刻になりました。歩いている最中にいきなり起きる呼吸ができなくなるほどの鋭い痛みや、排便時の激痛に襲われることもありました。大学での創作活動中では、資材を切っている途中に痛みに耐えられなくなり、友人に「ごめん、代わってほしい」と頼んだこともあります。素直に言える関係だったのは救いでしたが、なるべくつらい顔は見せたくない、気を遣われたくないと思って、無理して明るく振る舞うこともありました。
年々重くなっていった生理の転機は、大学2、3年生頃に訪れました。ついに婦人科を受診したんです。「さすがにこの状態はおかしい」と思い、自発的に近隣にある総合病院の婦人科を予約し、受診しました。症状を伝えたところ「月経困難症」と診断されました。
処方された低容量ピルを飲んでみると、それまでの激痛や多量出血が嘘のように軽くなり、世界が変わった気分でした。「こんなことなら、もっと早く行けばよかったね」と母や友人と話したのを覚えています。
ですが、そんな楽な生理期間は長く続きませんでした。
数ヶ月後、夜中に今までに感じたことのない激しい痛みと吐き気に襲われたんです。救急搬送され、「子宮内膜症」と診断されました。その場では大事に至らず、症状もおさまってすぐ自宅に戻りましたが、改めて婦人科を受診し、ピルからジエノゲスト(子宮内膜症治療剤)に切り替えることになりました。
それからは副作用の不正出血が2、3ヶ月続き、痛みはないもののずっと経血が出ている状態でした。毎日、朝と夜の食後決まった時間に服用しないといけないこともストレスでした。ピルに戻したこともあったのですが、経過観察の中で、子宮内膜症が進行していること、さらに成熟奇形腫という卵巣にできる腫瘍を併発して、それが大きくなっていることがわかり、手術を勧められました。
手術をするための専門病院を受診したけれど、手術が怖くて、ずるずる数ヶ月先延ばしにしました。ですが、担当医の「自分だったら今すぐちゃちゃっと手術しちゃうよ」と言われて、一念発起。大学4年生になる春休みに手術しました。
手術前日、病室のベッドでいろいろと考えていて、「生理のつらさを抱えている人に、自分の経験や感じていることを知ってほしい」と思い、思いの丈をSNSに投稿しました。すると驚くほど多くの反響があり、「同じような痛みを抱えている」「病院に行ってみる」といった声が多く寄せられたんです。自分の経験が誰かのきっかけになるのだと実感しました。
手術後は痛みが大きく改善しました。ジエノゲストを継続しながらも安定して過ごせるようになりました。
入院中に「このつらかった経験をポジティブに活かしたい」と強く思い、卒業制作のテーマに生理を選びました。「生理は病気じゃない」と我慢してきた過去を振り返り、いろんな人に生理を知り、考えてもらえるきっかけとなる表現をしたいと考えたんです。
そこで、年齢、性別、国籍もさまざまな約130人に「あなたにとって生理とは何ですか?」を聞くインタビューを行い、その声を洋服に落とし込んだファッションショーとコンセプトムービーを発表しました。ただつらい、血、グロいみたいなネガティブな側面ではなく、観た人がポップに楽しめて興味を持てる形を目指しました。表現の媒体として洋服を選んだのは、洋服は誰しもが当たり前に身につけるので、生理は他人事じゃなくて、ひとりひとりに関係しているんだよ、という気持ちも込めています。
教授からの評価は、男性しかいなかったのもあって、あまり共感は得られませんでした。男女(生理の有無)で反応が異なると感じましたが、観てくださった方々から多くのポジティブな反応があり、とてもうれしかったです。
- その後の進路や生理はどうなっていきましたか?
卒業後はデザイン会社に就職。ジエノゲストを長期間服用していて、生理を止めていたため、社会人生活では生理に悩まされることはほとんどなく、仕事に没頭しました。新卒で入社した会社には1年間勤めたのですが、人間を知る1年間でした。いろんな価値観の人がいることを実感したとともに、価値観が異なる人とのコミュニケーションを学んだ期間だったと思います。
次の進路は、オーストラリアで1年間ワーキングホリデーすることに決めました。私が美大に進むきっかけになった大好きなオーストラリア人のアートディレクターがいるんですが、その人に会いに行きたいと、ふと思ったんです。20代前半、人生どうなってもまだやり直せるし、会いたい人に会って、やりたいことをやる人生にしたいと思って、決断しました。
そんなわけで今はシドニーで暮らしています。そのアートディレクターとは一度連絡が取れて、今度コーヒー飲みながら話そうね、と返事をもらえたので、絶対実現させたいと思っています。
- 生理をふりかえって、いま何を思いますか?
小学校の頃の「隠さなきゃ」という気持ちから始まり、我慢して、苦しんで、ようやく病院に行って子宮内膜症が見つかり、手術まで経験しました。いま振り返ると、「生理だから仕方ない」と思い込んでいた自分に「早く病院に行って」と伝えたいです。
風邪をひけばすぐ病院に行くタイプだったのに、生理だけはどんなにつらくても「病院に行こう」と思えなかったのは、「生理は病気じゃないから我慢するもの」という刷り込みがあったからです。そして、これは私だけでなく、多くの人に当てはまると思います。だからこそ、多くの人に生理のことを知って、少しでも自分ごとにしてほしいと強く思います。
これからしばらくオーストラリアにいるので、現地でも生理のことを聞いて、話して、繋がりを広げていけたらいいなと思っています。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状がある際はご自身で医療機関にご相談ください。
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