わたしの生理

生理の状況や感じ方は、人それぞれ。表に出てきづらいデリケートでプライベートなことだからこそ、ひとりひとりの生理の経験、心の声に耳を傾けることで、自分を大切にするきっかけに。生理を通して半生を綴るインタビュー。

わたしの生理 Vol.037 - 不規則な働き方にゆれながら 出産を重ねて変化してきた 生理とキャリアの物語

岡安直澄 43歳 看護師セラピスト

初経:中学3年生(14歳)

現在の平均生理日数:5日

現在の平均生理周期:28日

現在使っているサニタリーグッズ:月経カップ(murmo)、オーガニックコットンナプキン


- 生理はどんな日ですか?

なんでもない日


- 生理と聞いて浮かぶイメージは?

健康


- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?

初経は中学3年の10月、14歳のときでした。学校のトイレで下着に血がついていることに気づいて、「あ、ついに来た」と思ったのを覚えています。姉が二人いて、母からも生理のことは聞いていたので、すぐにわかりました。でもその日はナプキンを一枚しか持っておらず、足りなかったので、友達に分けてもらいました。

それまでは「自分には生理が来ないのかな」とずっと気にしていました。周りの友達はどんどん始まっていくのに、自分にはこないので、「もしかして男なんじゃないか」と思ったこともあります。最初のうちは「まだ生理が来てない」と友達に言えたけれど、最後の一人になってからは恥ずかしくて言えなくなり、みんなの「生理つらいよね」という会話にわからないまま同調していました。だから、やっと生理が来たときはホッとしました。

家に帰って母に伝えたら、「わかっていたよ」と言われました。というのも、その少し前にわたしの下着に茶色っぽいおりものがついていたのを見て、母は「そろそろだな」と気づいていたそうです。赤飯などのお祝いは特にありませんでしたが、それが我が家の普通でした。

生理痛はなく、周期も規則的。量も多すぎることはなくて、とても順調な始まりでした。わたしはずっとバスケットボールをしていて、体脂肪がかなり少なかったんです。当時は身長160cmで体重38〜39kgしかなくて、脂肪が少なすぎて生理が来なかったんだと思います。部活を引退して脂肪がついてから、ようやく初経を迎えたのは、今振り返ると納得できます。


- 高校時代の生理はどうでしたか?

高校でも生理は順調で、痛みもほとんどありませんでした。大きな変化といえば、タンポンを初めて使ったことです。

当時はとにかく日焼け命で、春から夏にかけて海やプールにしょっちゅう行っていましたし、日焼けサロンにも通っていました。そのため生理はとても不便な存在でした。そんなときにタンポンを友達にすすめられました。

母に使う前に相談しましたが、「処女なのにタンポンはどうなの?」という考えで、あまり肯定的ではありませんでした。でもわたしはやってみたくて、試してみました。

使ってみるとすぐに慣れて、快適だったので、タンポンとナプキンを組み合わせて生理を過ごすようになりました。

タンポンのことで強烈に覚えていることがあります。それは一度だけタンポンを抜き忘れたことです。入れていたことをすっかり忘れて、新しいのを入れようとしたときに違和感があり、おかしいなとは思ったもののそのままにしていたら、お通じのときに古いタンポンが一緒に出てきて、本当にびっくりしました。幸い体調に異変はなかったですが、今思い出しても怖い体験でした。



- その後、人生や生理で岐路はありましたか?

高校を1年で中退しました。親との関係や「ここにいても意味がない」という気持ちからでした。一人暮らしを始めて、バイトを掛け持ちしていました。仲居をするなど、必死に生活していた時期です。その頃から生活リズムが乱れて、生理痛が出てくるようになりました。

その後「やっぱり高卒資格は必要」と思い直して、17歳で編入しました。働きながら学費も自分で払い、なんとか卒業しました。

卒業後は建設会社に就職して、最初は事務をしていましたが、身体を動かしたくて現場監督を希望しました。住宅リフォームの現場に出て、お客さんの対応もしました。

男性社会でしたが、会社にお願いしてサニタリーボックスを置いてもらったり、現場では、お客さまの家やコンビニのトイレを借りたりしていました。仮設トイレしかないときは、ぼっとん式でつらかったので、できるだけ使わず工夫していました。

この頃は、本当にがむしゃらに働いていた時代で、円形脱毛症になったり、急性胃腸炎で救急搬送されたりして、20歳そこそこでドクターストップがかかり、このままでは自分が壊れてしまうと思い、退職を決断しました。


- その後はどうなっていきましたか?

その後は介護職に就きました。バリアフリー住宅の設計に関わっていたことから介護の世界に興味を持ち、資格をとって介護施設で働き始めたんです。仕事はとても楽しかったけれど、夜勤もある仕事で、夜勤はとても身体にこたえました。夜勤明けは生理痛が強く、薬を飲んで抑えることが多かったです。

その後、建設業に戻ったりもしましたが、24歳のとき、休暇で訪れたイタリアで夫と出会い、結婚しました。その後すぐに妊娠がわかり、建設の仕事は退職しました。


- 出産を経験して、生理はどう変わりましたか?

24歳で第一子、25歳で第二子、27歳で第三子を出産しました。第一子と第二子は年子で、第三子は2歳差です。出産を重ねても、産後2ヶ月くらいですぐに生理が戻ってきました。授乳中だったのに「もう来たの?」という感じでした。

ただ、出産後は、生理痛がぐっと軽くなりました。妊娠前は夜勤や不規則な生活で痛みが強くなっていましたが、出産後は薬を飲まなくても過ごせるようになって、気持ちも楽になりました。

子育ては大変でしたが、子どもが増えていくなかで「妥協しなければやっていけない」と自然に力を抜けるようになり、むしろ楽しく過ごせるようになっていきました。


-その後、看護師を目指されたそうですね。

第三子が9ヶ月のときに看護学校に入学しました。介護職をしたときに「知識が足りない」と感じたこと、そして看護師なら一生働けると考えたことが大きな理由でした。

子育てと勉強の両立は本当に大変で、実習のときは一週間で2〜3時間しか眠れなかったこともあります。それでも「子どもを育てながら学校に通っている」という自負が心の支えになっていました。

看護学校を4年で卒業した後は総合病院に就職し、10年近く勤務しました。夜勤は月に6〜8回ほどあり、身体はきつかったですが、子どもたちはファミリーサポートを利用するなどして、なんとか乗り越えていきました。

35歳のとき、第四子を出産しました。総合病院に勤めながらの妊娠・出産で、責任ある立場になっていたこともあり大変でしたが、このときも周囲のサポートに助けられました。

40歳頃になって体調の不調が重なったことや、新たな道に進みたいという思いが芽生え、退職を決意しました。


 - 40歳をこえてどうなっていきましたか?

退職後、女性の身体や生理に関する悩みを相談されることが増えていったことがきっかけで、婦人科系の相談に応えられる場をつくりたいと思い、女性専門サロンを立ち上げました。女性ホルモンのゆらぎや妊活、更年期など、幅広い世代の女性と向き合う活動です。

今はサロンを運営しながら、看護師としての経験を生かして、後輩のキャリア支援やサロン開業のサポートもしています。


-生理をふりかえって、いま何を思いますか?

私はずっと周期が乱れない体質で、それが自分の人生を大きく支えてきたと思います。妊娠のタイミングもとりやすかったし、出産を経て痛みが軽くなったことも子育てに前向きに取り組めた理由のひとつでした。

一方で、夜勤や不規則な生活が生理痛を悪化させるなど、生活リズムと生理のつながりも強く実感してきました。

生理があったから、身体と向き合ってこれたと思います。これからも自分の体と向き合いながら、無理をせず付き合っていきたいと思います。



注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状がある際はご自身で医療機関にご相談ください。

 


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