わたしの生理

生理の状況や感じ方は、人それぞれ。表に出てきづらいデリケートでプライベートなことだからこそ、ひとりひとりの生理の経験、心の声に耳を傾けることで、自分を大切にするきっかけに。生理を通して半生を綴るインタビュー。

わたしの生理 Vol.036 - 「最後の生理」とともに 乳がんと歩んだ道のり その経験から生まれた「がんノート」

西 美都子 41歳 mien(がんと診断されたら役立つノート)代表

初経:小学5年生(11歳)

現在の平均生理日数:なし

現在の平均生理周期:なし

現在使っているサニタリーグッズ:なし


- 生理はどんな日でしたか?

つらかった、痛い日


- 生理と聞いて浮かぶイメージは?

腹痛、カイロ


- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?

小学校5年生のとき、初めて生理がきました。学校で教わっていたし、なんとなく「そろそろかな」と思っていたので、そこまで驚きはなかったけれど、「来たな」っていう実感はありましたね。ショーツに血がついていて、それで母に伝えて、家にあったナプキンをもらってつけて。

その頃「スポーツブラが欲しい」と母にお願いして買ってもらいました。初経がきたときに「わたしも大人になったんだ」って思って、その大人になっていく感覚がうれしいものだったんです。身体の変化というより、気持ちの変化でした。
小学生の頃の生理は、少しお腹が痛かったけど、それほどつらかったイメージはないです。


- 中学生になってから変化はありましたか?

中学生になってからも、生理はそれほど重くなかったけれど、冬場は身体が冷えてお腹が痛くなることがありました。生理痛があるときにカイロを貼るようになったのもこの頃です。誰かに言われて始めたというより、自分なりに「温めたらよさそう」と思って始めました。実際に温めたら楽になったので、冬に限らず、夏も含めて一年中、生理痛がひどいときはカイロを使うようになりました。

生理周期はずれても2週間くらいでちゃんときていて、量もそこまで多くなかったので、どちらかというと生理が軽い方だったと思います。


- 中学を卒業してからどんな変化がありましたか?

高校に進学しました。生理中のお腹や腰の痛みが少し強くなって、カイロはお腹と背中に1枚ずつ貼るのが基本スタイルになりました。それでも痛かったので、市販の痛み止めを飲むようになりました。

あと、ナプキンを取り替えるのを忘れてしまって、取り替える頃にはナプキンの全面が真っ赤に染まっていたり、経血が漏れてしまったこともありました。学校で椅子に血がついてしまったこともありました。でも女子校だったので、「あー、やっちゃったわ」くらいの感覚で、そこまで気にしていなかったと思います。


- 高校卒業以降はどうなっていきましたか?

高校卒業後は、短大、4年制大学、大学院へと進路を模索しながら学びを続けていきました。その間ずっと悩まされていたのが生理に伴う体調の変化でした。特に短大から大学に進学する頃からPMSの症状が強くなり、頭痛や重い腹痛に苦しむようになりました。

そんなとき「低用量ピルで楽になるらしい」と知り、婦人科を受診。最初は抵抗があったものの、服用すると症状が軽くなりました。生理周期も安定し、予定が立てやすくなったことで「生理に振り回される」ことが減り、日常生活が穏やかになったと実感しました。

大学院へ進んでからは、非常勤講師をしながら研究を続けましたが、忙しい日々でも体調の波をコントロールできたのは大きな支えでした。


- 35歳、乳がんが発覚。治療のはじまりと「最後の生理」

35歳のとき、乳がんと診断されました。きっかけは、生理前に胸の張りや痛みを感じるようになり、数ヶ月続いたある日、自分で触れてしこりに気づいたことです。すぐに婦人科を受診し、紹介された乳腺外科で検査を受けた結果、乳がんが見つかりました。わたしのがんは女性ホルモンによって増殖するタイプでした。

抗がん剤治療で妊娠するための力(妊よう性)が失われるかもしれないと知り、治療を始める前に、卵子凍結をしました。当時パートナーはいませんでしたが、「子どもを必ず持ちたい」とまでは思っていなくても、自分の選択肢を残しておきたかったからです。

その後、治療の一環として女性ホルモンを止めるために注射を打ち、生理が止まりました。それが「最後の生理」になりました。

抗がん剤投与のあと、左の乳房を摘出し、同時に乳房の再建も行いました。その後、遺伝子検査を受け、がんが遺伝性であることもわかりました。

治療を終えたかに思えた約1年後、腰の骨に転移が見つかりました。手術ができない場所だったため、放射線と抗がん剤による治療を受けました。その後、再発や別のがんのリスクを減らすため、卵巣と卵管も摘出しました。現在は3か月ごとの検査を受けながら、ホルモン療法を続けています。


- 今、取り組んでいること:「がんノート」をつくる

現在は、大学で教える仕事をしながら、がん患者の経験を活かしたいと一念発起して「がんと診断されたら役立つノート」をつくり、広げていく活動をしています。

がんと診断されるのは本当に突然で、精神的なショックや治療による負担も大きいのに、いろんな準備もしないといけない。手術や治療方針だけでなく、仕事やお金のことなど...自分で調べて、考えて、行動することがいっぱいあるんですよね。そして、病院で自分の体調などを的確に伝えるのもすごく難しいことを肌身を持って感じました。

そこで「書き残せる場所」があれば、自分にとっても周囲にとっても大事な情報になると考えました。まずは、信頼できる情報を整理し、医師や家族と治療方針を話し合える“書き込めるノート”を作成しました。

その後、転移をきっかけに、エンディングノートの一つ手前のものとして「もしもに備えるノート」も形にしました。

今後は対象を広げ、治療スケジュールや副作用、気分や痛み、その日のメモ――、大切な“暮らしの記録”をまるごと受けとめられるノートを目指しています。


- 生理をふりかえって、いま何を思いますか?

生理があった頃の自分と、生理がなくなった今の自分。どちらもわたしです。

生理が止まって、楽になった部分もあります。けれど、生理があることで自分の身体と繋がれていた実感もあったな、と思います。

病気を経て、「わたしはわたし」と、強く思えるようになりました。生理がなくても、「私自身は変わらない」。そう信じて、今を大切に生きています。



注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状がある際はご自身で医療機関にご相談ください。

 


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