わたしの生理 Vol.035 - 身体の中が淀んでいく感覚 過酷な社会人生活や転職を経て 韓国留学で知った「自分を大切にする」こと
chisato 31歳 会社員
初経:小学5年生(10歳)
現在の平均生理日数:4日
現在の平均生理周期:28日
現在使っているサニタリーグッズ:使い捨てナプキン
- 生理はどんな日ですか?
めんどくさい日
- 生理と聞いて浮かぶイメージは?
だるい
- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?
小学5年生のときでした。林間学校の直前に、母から「もしかしたら来るかもしれないから」と、念入りにナプキンの使い方のレクチャーを受け、大量のナプキンを持たされて出発しました。心配しつつも、結局現地でくることはなく、ホッとしたのも束の間。帰ってきてすぐ、生理が始まりました。「わ、セーフ!」と思ったことを覚えています。はじめての生理の出血は黒っぽく、母に伝えると「それが生理だよ」と言われて自覚しました。当時は痛みもなく、ただ不思議な感覚でした。
- 小学生時代の生理で他に覚えていることはありますか?
小学生の頃は「生理は恥ずかしいもの」という感覚が強くありました。誰にも知られたくなくて、ナプキンをパンツの中にもう1枚忍ばせてトイレへ持っていく。そんなふうに隠す工夫をしていました。友達同士で生理の話をすることもほとんどなく、小学6年生から中学生にかけては、どこか「秘密にするもの」という感覚が抜けませんでした。
- 中学生で生理に変化はありましたか?
経血量は少なく、痛みもほとんどなかったので、生活に支障はありませんでした。ただ、生理中は体力が落ちている感覚があり、特に運動するときに貧血のようなだるさを感じることがありました。初経以降ずっと周期は安定していて、乱れることはありませんでした。
友達と「ナプキン持ってる?」と助け合うようになったのもこの頃で、生理をめぐってお互いを支える空気感が少しずつ芽生えていきました。
- 高校時代、変化はありましたか?
高校2年生頃から出血量が一気に増えました。痛みが少ない体質だったため、漏れて、ボトムスや下着を汚してしまうことが何度もありました。
強く記憶に残っていることがあって、家族旅行に生理がかぶったときのこと。長時間、車移動をした後、わたしの水色のズボンに赤いシミがついているのに母が気づいて、上着を貸してくれて慌てて隠しました。「自分は量が多いんだ」とこのとき改めて意識するようになりました。
高校でもバドミントンを続けていたのですが、部活中はせわしなく動き回っていたので、出血している感覚はなく、何度かトイレで「あ、また漏らしちゃった…」と気づくようなこともありました。
出血量が増えたこともあってか、この頃から血液検査で「運動禁止」と言われるほどの貧血を指摘されていました。とくに生理中はふらふらで、顔も真っ青。周りの人にも心配されるレベルでした。
- 高校卒業後はどんな道に進みましたか?生理に変化はありましたか?
高校卒業後は大学に進学。変わらず経血量は多く、貧血もひどかったです。そして、この頃から少しずつ生理痛を感じるようになりました。それでも日常生活への影響は限定的で、学校にも遅刻せず通い、アルバイトもしていました。
アルバイトはライブ会場での現場仕事と、スポーツジムの受付。ライブのバイトはトイレに行きづらい環境ですが、生理と被らないようにしっかり周期を計算してシフトを入れていました。生理周期は安定していたので、生理を考慮して事前に予定を組めたのはよかったです。動いていればむしろ気分転換になることが多く、「生理がつらいから休む」というよりは「どうやりくりするか」を考えていた時期でした。
生理用品はずっとナプキン派。友人にすすめられて一度だけタンポンにチャレンジしてみたこともありましたが、うまく装着できなくて、それ以降は使い慣れたナプキンに戻りました。面倒くさがりな性格もあって「処理が面倒」「自分に合うものが一番」という気持ちです。
- 社会人になってからの進路や生理のことを教えてください
新卒でエンタメ企業の営業職になりました。仕事は刺激的で先輩にも恵まれ充実していたのですが、仕事柄、会食がとにかく多く、時には深夜まで飲んでそのまま朝帰り。シャワーしてすぐ出社、という過酷な生活が1〜2年は続きました。
体重も8kgほど増加し「自分の身体の中が淀んでいく感じ」「ろ過できていないような感覚」がありました。
それでも生理周期は乱れませんでした。ただ生理痛がどんどんヘビーに。腰やお腹の痛み、頭痛、なんとも言えないしんどさ…。さらに経血量も多いため、トイレに行きづらい状況のときは、夜用ナプキンを重ねづけたパンツの上にスパッツを履き、ぴったり押さえて対応していました。こんな状況でも「ムレない体質だから大丈夫」とどこか楽観的な自分がいました。同僚のなかには生理不順や生理の重さに悩む人もいたので、自分は強くて軽い方なんだなと思っていました。
-エンタメ企業を辞めてからの環境と心身の変化
新卒で勤めた会社を約4年で退職、美容業界へ転職しました。女性向けライフスタイル商品を扱うブランドの営業職でした。大きな会社から小規模の会社への転職、新しい業界へのワクワク感もありましたが、次第に心が追い詰められていきました。というのも、小規模の会社だからこそ自分が担う部分が多い、だからこそ役に立ちたいと、責任感を勝手に背負い込み「わたしは全然できていない」と自分を責める日々でした。会社の人たちはとてもいい人たちだったのに、自分で自分を追い詰めて、すぐに退職してしまいました。
2度目の転職も、なかなか思うようにはいきませんでした。
それまで家族に仕事のことをほとんど相談していませんでしたが、転職後の家族旅行中に、親から「大丈夫?」と声をかけられ、我慢していたものが決壊して涙が止まらなくなったこともありました。たぶんわたしの顔つきを見て心配に感じたのだと思います。「無理しなくていいんじゃない?」という家族の気遣いが響きました。
その後、メンタルクリニックを受診し「軽度うつ」の診断がくだり、実家に戻って休養することになりました。最初の3ヶ月は何もできず、あまり記憶がありません。散歩をしたり、病院に通ったりしながら、少しずつ回復していきました。
回復してきたときに、新卒で勤めていた会社の当時の上司からの誘いをいただき、再び一社目の会社に戻ることにしました。
- もう一度エンタメの会社で働いてみて、何か変わりましたか?
戻ってみると知った顔も多く、自分の「居場所」と感じられて安心しました。それでも今度は中堅扱いされる責任、業務の重圧など、新しいタイプの悩みが次々と...自分なりに組織を良くしようと提案したりもしましたが、空回りしてしまうこともあり、自分の未来を考えた結果、最終的に退職を決意し、かねてから興味を持っていた韓国への留学に進みます。
- 韓国での生活はどうでしたか?生理の変化はありましたか?
韓国へは、過去に1ヶ月滞在した経験はありましたが、本格的な海外暮らしは初めて。語学を習得したい、韓国語で自由にコミュニケーションしたい——そんな思いに背中を押されて、語学学校9ヶ月+ワーキングホリデー1年の計約2年をソウルで過ごしました。韓国社会は自己主張が強い文化で、最初は戸惑いもありましたが、自分の考えをきちんと伝えることを学びましたし、現地の企業で働く経験もできて、とてもよい2年弱を過ごすことができました。
韓国でピルを飲むようになり、生理にも大きな変化がありました。ピル自体は、日本でも過去に低容量ピルを試したことがあるのですが、このときは副作用で断念しました。しかし韓国は薬局で処方せん不要で超低用量ピルが気軽に手に入り、現地の友人の勧めもあって再びチャレンジ。今度は副作用もなく、生理痛はほとんど感じなくなり、経血量も減り、周期もさらに安定し、とても楽になりました。
ただし生理用品だけは、わたしにとってはどうしても日本のもののが使用感がよく、帰国のたびにスーツケースに詰めて運んでいました。
- 帰国後から現在までどうしていますか?
帰国後は父の会社を手伝いながら、今後の目標ややりたいことをじっくり考え直す時間を過ごしています。韓国語は不自由なく使えるようになったので、仕事に生かしていけたらと思っています。
- 生理をふりかえって、いま何を思いますか?
環境の変化や自分のケア不足によって生理痛や不調が強まった時期がありました。振り返ると「自分を後回しにする」ことが大きな要因だったと感じています。韓国での暮らしを経て、自分の体や気持ちを大事にすることの大切さに気づきました。生理はそのバロメーターであり、自分を守る指標でもあるのだと、今は思います。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状がある際はご自身で医療機関にご相談ください。
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