わたしの生理 Vol.033 - 「女ってお金がかかるよね」 その経験が老後の私たちを救う? 生理と介護から見えたしなやかな強さ
KHT 45歳 会社員
初経:中学1年生(12歳)
現在の平均生理日数:3日
現在の平均生理周期:25日
現在使っているサニタリーグッズ:月経カップ(murmo)、使い捨てナプキン
- 生理はどんな日ですか?
いつもと変わらない日
- 生理と聞いて浮かぶイメージは?
ネガティブな印象は持ったことがないけど、高校3年間は「気合い」
洋服なに着ようかな
- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?
中学1年生の春、12歳です。パンツにうっすら血のようなものがついていて「あ、これかな?」と。小学5年生くらいのときに、学校で生理についての教育がありました。林間学校のときに生理になったらどうするか、といったレクチャーもあったので、知識はありました。でも、はっきりとはわからなかったので、すぐに母親に伝えたところ、母から「じゃあ、ナプキンを一応敷いといたら?」と言われ、その通りにナプキンを着けて、次に出血があったときに改めて母に見せたら、「これが生理だよ、おめでとう」って言われたんです。
「あ、おめでとうなんだな」と思いました(笑)。我が家では生理がくることは大人になるということで、お祝い事という感覚だったみたいです。お赤飯も食べたし、お父さんからはプレゼントにベルトをもらいました。当時、ちょうどベルトが欲しくて前から言っていたので、そのタイミングで贈ってくれたんだと思います。
>-中学生のときは、生理とどのように付き合っていましたか?>
中学生のときの記憶はあまりないんですが、特に苦労した覚えはないですね。生理痛がひどかったり、経血の量が多くて困ったり、漏れてしまったりという記憶は全然なくて。そこまで気に留めていなかっただけかもしれませんが、軽い方だったんだと思います。
部活は運動部に入っていました。もちろん練習と生理がかぶることもありましたが、中学のときは割と遊びに近い感じだったので、そこまで大変ではありませんでした。それに、中学校の部活のユニフォームは紺色だったので、もし漏れてしまっても気づかれにくいんです。だから部活のことで生理に悩んだ記憶はほとんどないですね。
-高校生になって、生理との付き合い方に変化はありましたか?
高校の生理は苦労しましたね。高校の部活はもう「ガチ」で毎日練習があったので。一番大変だったのは、練習着が白色になったことです。大会のときは紺色なんですが、練習は白という決まりがあって。
でも、部活内には女子たちが助け合う雰囲気がありました。急に生理がきてユニフォームに経血がついてしまったら、先輩後輩関係なくすぐに教えてくれて、お手洗いに行って着替えさせてもらったり。朝練も夜練もあったので、着替えは何枚か用意してあったんです。だから、絶対に困るということはありませんでした。
高校時代は、とにかく早く生理を終わらせたくて。「気合いで3日で終わらせる!」ってずっと思っていました(笑)。実際に3日くらいで終わっていて、短かったですね。中学のときは4日くらいあったと思うんですけど。
激しい運動をしていたからか、生理中は腰に鈍痛がありました。動けないほどではないんですが、常に腰が重いな、という感じでした。わたしは軽い方だったのでよかったですが、生理が重くても、生理が理由で部活を休める雰囲気ではなかったので、重い人は大変だったと思います。
タンポンを使い始めたのは、高校2年生のときです。ちょうど大会と生理が重なった時期があって。大会のときは、気合いを入れるために下着を着けないという慣習があったんです。他の強い学校がそうしているから、うちもやろう、みたいな感じだったと思います。「あ、そうだ、タンポンがあるんだ」と思って、自分で買ってきて使い始めました。親に勧められたわけではなく、自分でやってみようと。慣れるまでは失敗もしたと思います。でも、だんだん上手く使えるようになりました。
-大学生になってからの生活について教えてください。
大学進学を機に、実家を出て大阪で一人暮らしを始めました。大学でも体育会系の部活に入りましたが、高校ほど厳しいところではありませんでした。
大学1年生の後半、たしか冬の寒い時期だったと思うんですが、1ヶ月くらい出血が続く不正出血があったんです。うちの母は婦人科系の疾患が多くて。わたしが高校生のときに子宮筋腫で子宮を全摘していますし、それ以前にも乳腺症で腫瘍を取ったりしていたので、「もしかしてわたしも何かあるのかも」と心配になりました。
それで、母に相談して、実家に帰省するタイミングで、母が通っている婦人科の女医さんのところに連れて行ってもらいました。エコーと触診をしてもらいましたが、特に異常はありませんでした。それが分かって安心したのか、その後は自然に治りました。
-社会人になってからのお仕事や、生理との付き合い方について聞かせてください。
大学では英語を専攻して、卒業後は新卒でコンサートの制作会社に就職しました。そこはもう、めちゃくちゃ忙しくて、このまま続けていく未来が見えないと思い、2年弱で辞めました。
その後、一度実家に戻って、派遣で事務の仕事をしていました。しばらくして、両親が老後のために広島に家を建てることになったんです。両親ともに広島出身で、土地はもともとありました。家が完成したタイミングで、先にわたしだけが広島の新居に移り住むことになりました。24、5歳のときですね。
広島では、マスコミ系の会社で派遣の事務として5年ほど働きました。この仕事を選んだのは、一人暮らしをしていた祖母の家がすぐ近くだったから。毎朝、祖母の家に車を停めて、ピンポンして生存確認してから会社に行くのが日課でした。
この頃も、生理に大きな変化はありませんでした。ただ、20代になってからの方が、高校生のときよりも腰の鈍痛を感じることがあったかもしれません。「あ、腰が重いな。そっか、生理か」と思うような。でも、我慢できないほどではなかったので、薬を飲むことはありませんでした。
PMSも人並みにはあったと思いますが、当時はそういう言葉も知らなかったですしね。広島での生活は楽しかったので、あまり気にならなかったです。
-30代で東京に出てこられたきっかけは何だったのでしょうか?
20代後半のときに、会社で仲の良かった人たちが立て続けに東京で転職を決めて上京していったんです。それを見て「わたしも行きたいな」と思って就活をしたんですが、全然うまくいかなくて。30歳になったときには「広島にいよう」と決めました。
そしたら、勤めていた会社の上司から「音楽アーティストのマネージャーを探しているんだけど、やってみない?」と声をかけていただいたんです。30歳を過ぎていましたし、「広島にいよう」と決意した後だったので、正直迷いました。でも、ちょうどお盆に東京のいとこの家に遊びに行く予定があったので、記念受験のつもりで面接を受けたら、決まりました。そこから1ヶ月後にはもう東京にいました。
その会社では7年間働きました。とにかく忙しくて、自分の生理のことを気にする暇もなかった、というのが正直なところです。もともと身体が丈夫なのもあると思いますが、環境が変わっても生理不順になったり、体調を崩したりすることはありませんでした。
7年後、お給料のことなどもあって、転職を決意しました。37歳くらいのときですね。辞めることが公になったタイミングで、ありがたいことに同業他社からたくさん声をかけていただき、そのうちの一社に転職をして、今はその会社で正社員として働いています。
-40代になって、何か心身の変化はありましたか?
40歳を目前にした39歳の後半から1年くらい、原因不明の体調不良に悩まされた時期がありました。家にいるときだけ、気分がずーっと曇っているような感じで、外に出ると元気になるんです。毎日家に帰るたびにその状態になるので、今思うとすごくつらかったですね。
病院に行くタイプではないので、気合いで治そうとしていたんですが、あるとき知り合いに気功の先生を紹介してもらったんです。半信半疑で一度行ってみたら、「あなたの家に生き霊が2体ついています。でも、今、遠隔で取り除きました」と言われて。
あまりそういうことを信じないタイプなので、「ええ、本当かな?」と思いながら家に帰ったら、玄関のドアを開けた瞬間、家の空気が変わったのがわかったんです。本当にびっくりしました。その日から夜もぐっすり眠れるようになって。それ以来、その不調はなくなりました。本当に不思議でした。
あとは、やっぱり40代になってから「太りやすく、痩せにくくなった」と実感しています。コロナ禍で在宅が増えて、家で飲酒する機会も増えたんですが、そのときについたお肉が本当に戻らなくなって。代謝が落ちたんでしょうね。体型が変わったのは、大きな変化です。
それから最近、経血の量が増えた気がします。更年期が近づくと量が増えることがあると聞きますが、それかなと。毎月ではないですが、波があって「今日はすごく多いな」と感じる日がありますね。月経カップを使い始めた頃、舞台を観に行ったときに、家を出てから帰るまでの5時間くらいでカップが満杯近くになってしまったことがあって。普段は12時間使っていても満杯にならないので、驚きました。今は、その日の活動時間などを考えて、多い日は早めに交換するようにしています。
-生理をふりかえって、いま何を思いますか?
「女ってお金がかかるな」って思いますね(笑)。
でも、悪いことばかりじゃないとも感じています。毎月、下着ではない布や化学繊維を身体に当て続けることに、わたしたちは慣れていますよね。祖母の介護を見ていて思ったんですが、男性はオムツを着けることにすごく抵抗があるみたいなんです。慣れていないし、屈辱的に感じるんでしょうね。祖父も、亡くなる直前までオムツを着けられるのが嫌で看護師さんに当たってしまうこともあったそうで、適応していく祖母とは様子が違いました。
一概には言えませんが、女性はそういうことに対して受け入れる力があるというか、柔軟なのかもしれないと思いました。わたしの親友が昨年末、交通事故で大怪我をして入院したときにオムツを着けていました。その体験談を聞いて自分に置き換えて想像したときに「まあ、しょうがないよね」とすんなり受け入れられる気がしました。
毎月の生理は大変なこともあるけれど、長い目で見たら、そうやって自分の身体の変化を受け入れていく訓練になっているかもと捉えています。老後を楽に過ごすための、強みになっているんじゃないかなって思いますね。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状がある際はご自身で医療機関にご相談ください。
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