わたしの生理 Vol.032 - 「生理用品の進化とともに歩いた40年間の生理ライフ 人生だって変わると教えてくれた」
北原みのり 54歳
作家・LOVE PIECE CLUB代表
初経:中学2年生(14歳)
閉経:54歳
これまでの平均生理日数:5日
これまでの平均生理周期:28日
これまで使ってきた生理用品・サニタリーアイテム:月経カップ、月経ディスク、オーガニックコットンタンポン、布ナプキン、タンポン、ナプキンなど多数
- 生理はどんな日?
お約束した友人が訪問する日
- 生理と聞いて浮かぶイメージは?
女の生活
- 生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?
初経は1985年、中学2年生の終わりでした。クラスの中でも初経が遅い方で、確か後ろから2番目でした。母も初経が遅かったと聞いていたので「自分も遅いのかな」「このまま生理が来ない人生かもしれない」と漠然と思っていましたが、とくに不安には感じていませんでした。
初めて生理が来た日は家にいて、自宅のトイレでパンツに真っ黒なシミを見つけてびっくり。「生理の出血=赤」というイメージだったので「あれ?うんち漏らしちゃった?」と思いました。母に伝えると「ショーツに付けて過ごしなさい」とナプキンを手渡されました。
初めての生理用品は、羽なしの分厚い使い捨てナプキン。当時はショーツに固定するための粘着テープもついておらず、ゴワゴワとしたものがショーツの上にただ乗っている状態で、付け心地が悪かったです。
翌日は日曜日で、”初経のお祝い”でお馴染みのお赤飯を食べました。当時、我が家では毎週日曜日の昼食に父がお好み焼きを振る舞う習慣があり、この日はお好み焼きとお赤飯という異色の組み合わせが食卓に並びました。
そして父が、生理や身体について、演説のように話してきました。デリケートな話を父にされたことはイヤだったけれど、いま思えば、女子校の教師だった父なりに、娘が自分の身体を肯定して生きていけるように願いを込めた言葉だったのかもしれません。
中学3年のときに、初めてタンポンを使いました。きっかけはプールです。夏休みに友達とプールに行く約束をしていて、生理が重なる可能性もあったので、これを機にみんなでタンポンの練習をしようと友だち数人と相談しました。すでにタンポンを使っていた友人にお願いして、トイレの前でレクチャーしてもらいながらみんなで装着。楽しい想い出です。それからは快適さに感動して、プールのとき以外も、タンポンとナプキンを併用するようになりました。「タンポンを使っている女の人ってかっこいい!」と以前から思っていたので、タンポンに対する心的ハードルは最初からありませんでした。
高校生になって、羽つきや薄型のナプキンが登場したときも「こんな便利なものができたなんて」と思ったことを覚えています。
生理に対して、ネガティブな気持ちを抱くことはまったくなかったです。漏れてしまったりしたことはあったと思いますが、生理痛がなかったこともあってか、多くの人が感じるような「生理をつらいもの」という受け止め方はしていませんでした。むしろ、大人の女性になった誇らしさのようなものを感じていました。
- 性教育の大切さを感じ、進み始めた20代
高校卒業後は大学に進学、国際関係学科で学びました。海外の文化に触れる機会が増えて、国によってナプキンの色がさまざまだったり、アプリケーターの付いていないタンポンもあったりと、生理用品の多様さを知って、とても興味深く感じました。
そして、この頃から、オーガニックコットンのタンポンを使うようになりました。大学の近所にある薬局で買っていたのですが、このときはいつも「自分で選んでいる」という実感があって、大人になったような気分でした。
生理に紐づく経験だと、19歳での妊娠・中絶があります。2、3ヶ月生理が来ていないことにふと気づいて友達に話したことから、妊娠がわかりました。この頃、フェミニズムの本をたくさん読んでいて、女の人の身体に関する知識がある方だと思っていたのに、自分の身体の変化に気づかなかったことには少しショックを受けました。
出産をして子どもを育てられる状況ではなかったので、中絶を選びました。中絶の権利が女の人自身にあることを理解していたので、自分を責めることなく、たしか電話帳で調べて病院を選びました。
ただ、そこでの医師や看護師の反応が中絶を責めているように感じたこと、翌日に受けた体育の授業で、見学理由として中絶したことを話したときの先生の青ざめたリアクション——そのひとつひとつに、「女の人の身体」に対する社会の眼差しを垣間見ました。
そうした経験や、また当時、世間を賑わした女性への性暴力事件などに強い怒りを感じ、性教育の必要性を強く感じました。教育心理学を専攻しながら、自分がこれまで感じてきた違和感を子ども世代にどう伝えられるかを模索しました。
大学院で学ぶ中で、自分で伝える「言葉」が欲しいと思い、勉強を中断。雑誌社でアルバイトをして、文章を書く仕事を始めました。
その後、インターネットが出てきた1996年に友人とホームページ制作会社を立ち上げ、そこで出会ったのが、フェミニストがやっていた女性向けのバイブレーターを販売するオンラインショップでした。女性のために作られたバイブレーターを見て、「これは女性が性を主体的に選び取るためのものだ」と希望に感じ、「これがわたしのやりたいことかもしれない!」と思いました。そして今日まで続くLOVE PIECE CLUBをスタートしました。海外からバイブレーターを始めとするセルフプレジャーアイテムや生理用品など、女性のための製品を輸入販売するオンラインショップを開設し、販売にとどまらず、勉強会や雑誌づくりも行いました。
月経カップと出会ったのもこの頃です。当時は日本に入ってきておらず、海外製品を取り寄せて自分で使ってみたのですが「こんなに快適なものがあるなんて」と衝撃を受けたことを今でも覚えています。
布ナプキンや月経ディスクなどいろんなアイテムを自分たちで使った上でいいなと思ったものを、女の人たちの新しい選択肢にしたいと販売してきました。
生理用品は「生理をどう過ごすか」に直結する存在。自分の身体と向き合う上で、とても重要な存在だと感じています。大げさじゃなく、「生理用品で人生が変わるんだ」と思っています。
この頃も10代と変わらず、生理そのものをネガティブに感じることはありませんでした。生理痛もほとんどなく、生活を大きく乱されるようなこともなかったからだと思います。
ただ、今振り返ると、PMS(月経前症候群)のような症状はあったと感じています。当時はまだ「PMS」という言葉も出てきておらず、自分の状態に名前があるとも思っていませんでしたが、イライラする、感情的になる、集中できない——そんな時期が生理前にありました。
この時期は、自分の身体の不調や変化に向き合うよりも、それに抗おうとしていたような気がします。「女だからこうだ」と見られることに強く反発していたため、生理やPMSの影響を「気のせい」「気合いでなんとかなる」と受け入れずにいたのかもしれません。
- 30代:低容量ピルとの出会い
30代になり、低容量ピルを飲み始めました。経血量が減り、PMSも無くなってとても快適でした。
ピルによって生理が平坦になる感覚があり、そうやって生理をコントロールできる心地よさはあったものの、たまにナチュラルな自分の感覚を取り戻したくなって、しばらく服薬をやめる期間もありました。ピルを飲んでいないときの生理は、波があったり、生理を終えた時に「終わった!」という気分があって、生理が終わって1サイクルが完結する感覚が好きでした。生理は英語でperiod(ピリオド)と言いますが、まさにその通りだと思います。
- 40代:更年期の話しにくさを感じて
45歳頃から、耳鳴りや疲れやすさといった不調を感じるようになりました。今思えば更年期の始まりだったのだと思います。更年期障害という言葉は知っていたし、症状に関する知識は持ち合わせていたけれど、なぜか「自分はまだ」と思い込んでいました。
学生の頃から生理の話を友達としてきたし、大人になってからも女の人同士で性や生理の話をする機会は多かったのですが、更年期にさしかかったとき、ふと「誰ともこの話をしたことがない」と気づきました。今からわずか10年近く前の話ですが、当時は今ほど更年期の話題が一般的ではなく、情報や話すきっかけが少なかったという背景もあると思います。
女の人の性にまつわる仕事を長年してきた自分でさえ、年齢を重ねるごとにこうした話題は慎重になっていきました。婦人科系の病気を抱えていたり、体験や状況が人それぞれ異なったりと、話題にするにも配慮が必要だと感じることが増えてきたのだと思います。
「生理が終わる=生殖能力がなくなる」として、マイナスのイメージで捉える人もいるのではないでしょうか。子どもの頃に観た『大草原の小さな家』というドラマのなかで、主人公ローラのママが妊娠したと思って喜んでいたら、実は閉経だった——というシーンがあり、閉経を知った本人がショックを受ける描写が、子どもながらにとても印象的だったことを思い出しました。
そうしたこともあって、年上の女性に更年期の話を聞くことも出来なかったし、同じ年の友人に対しても、口にしづらさを感じていたのだと思います。
-50代で始めた「生理日記」。生理とお別れをするさびしさを感じて
50歳のときに受けた血液検査の結果、まだ生理がある状態のホルモン値だったため、医師と相談の上、ピルを続けました。そして51歳のとき、ホルモン補充療法(HRT)へと切り替えました。
ピルをやめたあと、これまで気に留めることのなかった「生理がいつ来たか」を初めて意識するようになり、生理日をアプリで記録し始めました。人生で初めてつける“生理日記”です。生理が来ると、「またきてくれたんだ」とうれしい気持ちがこみ上げる一方で、「これが最後かもしれない」というさびしさを感じるようになりました。「閉経してスッキリした」という声をよく見かけるけれど、わたしは「さびしい」と感じます。それは、生殖能力がなくなるとかそういうことではなく、毎月ちゃんと来てくれていた友人ともう会えないのか、という寂しさです。
今年5月、スペイン出張中に出血がありました。しばらく生理が来ていなかったので、帰国後すぐに婦人科へ行き、念の為に子宮がん検診を受けました。医師からは、「次に出血があったら、それは不正出血です」と言われているので、これで生理は終わったのだと思います。
14歳で初経を迎え、54歳の今。ぴったり40年間、生理と付き合ってきたことになります。
現在はHRTを継続中です。医師と相談しながら、自分の身体と向き合う時間を過ごしています。生理というリズムは終わっても、身体やホルモンバランスは日々変化し続けていて、その声に耳を澄ませることを大切にしていきたいと思います。
- 生理をふりかえって、いま何を思いますか?
わたしにとって、40年間の生理ライフは幸せな経験でした。最後の10年間で月経カップやディスクなど、生理用品の選択肢がぐんと広がり、いろんなものを試しながら、自分の身体との付き合い方を工夫する楽しさがありました。「また来てくれた」と思えるうれしさや、「もう終わってしまうかもしれない」というさびしさも含めて、生理との日々はかけがえのない、特別な時間だったと思います。
これから更年期を迎える人たちにも、“最後の生理”を楽しんでもらえたらいいなと願っています。「こんなもんだから」と、これまで我慢し続けてきた人はその感覚を手放せる、最後のチャンスになると思います。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状などがある際はご自身で医療機関にご相談ください。
コメントする