わたしの生理 Vol.028 - 「生理不順とともに歩んだ私が 助産師になり 母になり 身体と向き合い続けた理由」
中島春奈 36歳 めばえの森代表
初経:小学6年生(12歳)
現在の平均生理日数:7日
現在の平均生理周期:34日
現在使っているサニタリーグッズ:月経カップ(murmo)、吸水ショーツ、使い捨てナプキン
- 生理はどんな日?
安心する日
- 生理と聞いて浮かぶイメージは?
悩みが多い
- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?
最初の生理は、小学5年生の頃、入院中の病院で迎えました。ショーツに血がついていて、「なにこれ?」と驚いたのを覚えています。「生理」の存在は知っていましたが、当時は入院中だったこともあり、それが生理だとは思わず、慌てて看護師さんに伝えたところ「それは生理じゃない?」と言われて、ようやく自分の中で繋がりました。ですが、その次に生理がきたのは半年以上経ってから。小学6年生になってようやく「ちゃんと」始まったという感覚でした。
とはいえ、ずっと生理不順で、定期的に来ても1か月と1週間ずつずれていく長めの周期だったり、2ヶ月くらい来ないこともありました。この頃の生理があまり記憶に残っていないのは、その不安定さのせいかもしれません。
- 中学生になって変化はありましたか?
中学時代は、学校での人間関係に悩みを抱えていたので、その記憶が強すぎて、生理のことはほとんど覚えていません。自分の身体のことを考える余裕がなかったのだと思います。
ひとつだけ覚えていることは、月に一度の集会がとても苦痛で「生理痛」と言って休んでいたことです。あるとき「お腹が痛い」と言って学校を休もうとしたところ、「生理痛かな?」と母から聞かれて、「そっか、生理痛で休むという方法もあるんだ」と思って、この集会のときは「生理痛」と言って休むようになりました。実際のところ、生理痛はなく、経血量も少なく、生理も遅めの不定期周期だったため、生理がつらいという印象はありませんでした。
- 高校でなにか変化はありましたか?
高校は一転して楽しい学生生活になりました。ただ生理不順は変わらず、1か月と1週間おきだったり、2〜3か月来なかったりとバラバラな状態でした。生理痛はほとんどなく、生活に支障は感じませんでした。部活では弓道をしていましたが、袴を着る試合の日に生理が重なることも少なく、量も多くなかったので不便にも感じていませんでした。
- 高校を卒業してからどうなっていきましたか?
大学では4年制の看護学科に進学し、実家を離れて一人暮らしを始めました。この頃から生理不順が不安に変わりました。彼氏と付き合っていたこともあり「妊娠したらどうしよう」「避妊はしているけど、もしものことがあったら」と、生理と妊娠が現実的に結びついたんです。
大学1年生の実習が始まった頃、生理が止まったことがあります。忙しさやプレッシャーが影響していたのだと思います。「さすがにまずい」と思って婦人科にかかり、ホルモン治療として中容量ピルを処方されました。
ピルを飲んだことで再び生理がきたのですが、また数ヶ月後に生理が止まってしまい、受診をして中容量ピルを処方されました。しかし今回は内服が終わった後にくるはずの生理がなかなかこなくて、とても不安になりました。
当時、まだ身体についての知識も少なかったので「ピルを飲んでいても妊娠する場合もあるのかな」と不安に思って、そのことを母に相談しました。ところが「学生の身でそんな話しないで」と言われてしまい「母とはこういった話はできないんだ」と思ったことを覚えています。母も戸惑ったのだと思うのですが、本当は寄り添ってほしかったです。
その後、生理が来ないという不安を思い切って友達に打ち明けたと同時に生理がきたので、女性の体って不思議だなと思ったのを強く覚えています。
以降、病院では低用量ピルを勧められしばらく内服していたのですが、彼氏と別れたタイミングで妊娠の心配がなくなったのと、毎日同じ時間に飲み続けることや費用の負担もあったので、ピルをやめました。ただ、生理不順は変わらずで、生理がしばらく止まると婦人科へ行くことを繰り返しました。
- 社会人になってからの変化はありましたか?
大学を卒業後、実習でお世話になった病院にそのまま就職し、看護師として働き始めました。夜勤もある仕事だったことも影響してか、相変わらず生理不順でしたが、ピルは飲んだり飲まなかったりを繰り返していました。
「わたしの身体は自力で生理が来ない状態なのでは」と思って、婦人科に相談の上、あえてピルを飲まずに、漢方を飲んだり、布ナプキンに切り替えてみたり、生活習慣を整えたりと、自然な形で調整することもしました。社会人になってからの3年間は、生理を通して自分の体調を模索をする期間だったと思います。
- 3年経って、変化が訪れたのですか?
3年間勤めた病院を辞めて、1年間の助産師養成課程に通うため島根へ移住することになりました。
島根に移住する直前にそれまで通っていた婦人科を受診したときのことが強く記憶に残っています。このとき、ピルの飲み忘れで受診したのですが、医師から「なんで飲み忘れたのか、ちゃんとタイマーをかけて毎日同じ時間に飲まなきゃ避妊に効果がない」と避妊目的前提で強めに言われたんです。わたしは、避妊目的だけで飲んでるわけではなくて、妊娠する未来のことも考えて、自分の身体を整えたいと思って、漢方や生活習慣も含めていろいろ試行錯誤して身体と向き合っていたので、医師の言葉に納得できなくて、その思いを伝えたのですが「そんなふうにいろんなことをしても結局生理がきてないし、このままピルを飲み続けたとしても、あなたの身体は妊娠したいときに妊娠できないよ」という内容のことを言われて、これ以上話してもいいことはないなと思って、ぐっと飲み込んで帰りました。「自分の身体と向き合いたくて、生活習慣も整えようと努力してきたのに」と思って、すごく悔しくて、帰ってから泣いたことを覚えています。
直接医師からの診断はされてはいなかったけど、受診時のエコーで自分が「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」だと、なんとなくわかっていたのですが、それもショックでした。
このときの悔しさから「女性の体のことをもっと学びたい」と強く思いました。
- 助産師への進学とその後について教えてください
島根に移住して1年間、助産師養成課程に通いました。実習中はやはり生理が止まりがちでしたが、遅くても2ヶ月ちょいで生理が自力でくる状態だったので、ピルは使わずに乗り切りました。それでも看護師として働いていたときよりも生理周期は改善していたと思います。
卒業と同じタイミングで島根県江津市に本格的に移住し、病院で助産師として働き始めました。27歳の頃です。添加物を避けたり魚や野菜中心の食生活を意識するようになったり、バランスボールインストラクターの資格を取得したことで運動習慣がついたことも、良い方向に作用したと感じています。
- 島根での助産師としての経験、その後の仕事と生理の変化
病院での助産師としての勤務は、5年間に渡りました。最初の2年間は夜勤を含むフルタイム、後半の3年間は夜勤なしの勤務体制に切り替えました。夜勤をやめたことで自律神経の乱れが減り、生理が安定してくるのを実感しました。やっぱり夜勤はわたしの生理にとって大きな負担だったのだと思います。
そして、夜勤なしの勤務に切り替えてからは、少しずつ病院勤務と並行して地域での活動も増えていきました。地域の産後のお母さん向けのバランスボールのクラスやワークショップ、講座、イベントの企画運営などに関わるようになり、「病院の中でできること」と「地域の中で必要とされていること」の両方を見つめながら活動していました。
そして5年後、病院を退職してからは、今も勤めている江津にある地域密着型のNPOに所属。産後や育児世代のお母さんのための講座やイベントを担当するようになりました。とはいえ、わたしにとっては大きな転職というよりも、病院に勤めながら個人でやっていた活動がNPOでの仕事になったという感覚でした。
ちょうどその頃に結婚して、島根県益田市に移住することになりました。仕事を続けながら、拠点を移した形です。この頃の生理はとても安定していました。夜勤がなく、食生活も整っていて、精神的にも落ち着いていたことが大きかったと思います。
でも今ふりかえってみると、最も生理不順に影響したのは体重だったと思います。BMIで痩せ型に入る体重のときに、生理が止まったり周期が遅くなる傾向があったと思います。少し体重が増えてから周期が整ってきた感覚がありました。
- 妊娠と出産、そして現在の生理について
結婚後すぐに第一子を妊娠しました。もともと多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)だったこともあり、「妊娠には時間がかかるだろう」と思って、不妊治療に通うつもりで検査を受けたり、初診の予約をしようとしていました。ところがそのタイミングで自然妊娠し、本当に驚きました。PCOSによって排卵が不規則だったとは思いますが、体を整えてきた積み重ねが、もしかしたら妊娠につながったのかもしれません。
出産後は授乳期間が長かったため、しばらく生理がありませんでした。ようやく生理が再開したのは産後1年半近く経ってから。久々の生理に「おかえり」と思えるくらい、安心感と再会のような感覚がありました。
再開後は吸水ショーツとナプキンを併用し、1年ほど前からmurmoの月経カップを使い始めました。吸水ショーツも便利でしたが、それでも濡れる不快感はあったりしたので、月経カップを使ったことで、生理のときの不快感が減って衝撃的でした。
- 生理をふりかえって、いま何を思いますか?
ずっと生理不順と付き合ってきて、心配事やストレスもたくさんあったので、生理不順じゃない方がいいとはもちろん思うのですが、生理不順でつらい思いをしたからこそ「同じ思いをする人を増やしたくない」「女性の身体の仕組みを詳しく知りたい」という原動力になって、今の仕事やたくさんの人たちとの繋がりが生まれているので、生理不順だったからこそ、今のわたしがあるんだと思います。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状がある際はご自身で医療機関にご相談ください。
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