わたしの生理 Vol.027 - 「なかなか来ない生理 気まずくて話せなかった学生時代 今は子どもとも自然に話せる」
iyo 42歳 株式会社マザーテラス 代表
初経:中学2年生(14歳)
現在の平均生理日数:4日
現在の平均生理周期:28日
現在使っているサニタリーグッズ:吸水ショーツ(noA600)、月経カップ(murmo)
- 生理はどんな日?
お腹が痛い日
- 生理と聞いて浮かぶイメージは?
大変だな〜
- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?
初めての生理は、中学2年生のときです。 といっても、一回きりで、その次に生理が来たのは、高校3年生だったので、これを初潮と言っていいのかわかりません。
生理については、小学4年生くらいの頃、母から「ナプキンはここに置いてあるよ」とだけ教わっていました。中学2年のときにはじめて初経のようなものがきたときはホッとしたことを覚えています。周りの友達には生理がきているようだったので、なんとなく自分にも「早く来てほしい」と思っていたんですよね。
生理がきたことをこっそり母には伝えましたが、誰にも知られたくなかったので、お祝いをしないでほしいことも伝えました。母は「わかったよ」とそっと受け止めてくれました。
生理が始まったかと思いきや、それ以降数年、生理が来ることはありませんでした。不思議に感じたものの、わたしは小柄だったこともあり、あまり気に留めませんでした。
ただ、学校で友達に「トイレでナプキンの音がしないけど、どうやって取り替えてるの?かっこいい!」と言われたことがあり、このときは本当のことは言えずごまかしたことを覚えています。なんとなく言いづらかったですね。
高校生になって変化はありましたか?
高校生になっても、生理はなかなか訪れませんでした。
高校3年生の頃、さすがに心配になり、婦人科を受診することになりました。
婦人科では、低容量ピルを飲むことを提案されました。 「ピル」と聞いて、最初は驚きました。わたしの中で「ピル=避妊薬」というイメージが強かったからです。でも婦人科の先生に正しい説明を受け、母からも「飲んでみたら」と後押しがあったことで、ピルを服用することにしました。ピルを飲み始めて、1周期めであっさり生理が来るようになりました。「こんなふうに薬で生理を起こすことができるんだ」。 そんな驚きと同時に、このときもホッとしたのを覚えています。
ここから定期的に生理がくるようになったのですが、それ以降の生理の記憶はほとんどありません。生理痛やPMSもなく、経血量も少なかったので、とくに生理がつらいと思うことがなかったからだと思います。
高校卒業後は、どのように変わっていきましたか?
高校卒業後、インテリアデザインを学ぶために専門学校へ進学し、島根の実家を離れ神戸で一人暮らしを始めました。「一人暮らしをしたい」、そんな小学生の頃から抱いていた思いが、ようやく叶った瞬間でもありました。
生活費を自分で稼いでいたので、学業とバイトに忙しい毎日でしたが、はじめての一人暮らしは、楽しくて仕方がありませんでした。
ピルの服用は高校3年生のときに飲み始めて一年くらいでやめました。飲み続ける習慣がどうしても身につかなかったことと、母が送ってくれる健康食品のおかげもあってか、生理も体調も安定していたので、もう飲まなくてもいいかなと思ってやめたんです。ピルの服用をやめてからの生理に関する記憶はとくにありません。生理に対して深く意識を向けることがなく「来たら来た、来なければ来ない」そんなスタンスで、日々を送っていました。
社会人になって生活は変わっていきましたか?
専門学校卒業後は、学生時代にアルバイトしていた雑貨販売の会社にそのまま就職しました。同じ職場だったので環境の変化もなく、就職のタイミングで店長を任せてもらえたこともあって、とても充実していました。生活は決して楽ではなかったけれど、弟も神戸に出てきて同居するようになり家賃の負担も減って、少し心に余裕もできて楽しく暮らしていたと思います。
それから2年ほど働いて転職しました。販売の仕事で学べることは学んだという思いになり、次は商品企画や製造を学びたくて、大阪にある雑貨の企画会社に転職、あわせて引っ越しをしました。転職した職場では、社風が肌に合わず、3ヶ月ほどで退職しました。
それからしばらくはフリーターです。いろんなバイトや日雇いの仕事で生活をつなぐようになりました。それでも心のどこかで「このままじゃいけない」という焦りがありました。
「わたしはこれから何をしたいんだろう」「わたしは何者なんだろう」。
そんな思いが募り、あるとき島根の実家に帰る決意をしました。「なにかを取りに帰らないと、前に進めない気がする」そんな直感があったんです。
実家の敷地内にあった古い倉庫の中に、ビニールのプチプチする緩衝材で囲った簡易な「ビニールハウス」のような部屋を自作して、そこで1年半ほど、できる限りシンプルな暮らしを試みました。
「どれだけ物がなくても、人は生きられるのか」 「何もない生活の中で、自分の内側から湧き上がるものを見つけたい」
そんな実験のような日々でした。
このころの生理のことも記憶がないので、特につらいこともなかったのだと思います。
そんな生活を1年半続けた後、バイクの免許を取って、日本半周バイク旅に出ました。北海道から本州を南下して、島根の家に帰るというルートでした。体力もお金もぎりぎりだったけれど、旅の途中でたくさんの景色や出会いに触れて、自分の中に少しずつエネルギーが戻ってくるのを感じました。
旅を終えたあと、かつて暮らしていた大阪に戻り、その後、京都に引っ越します。
京都へ移ったきっかけは、仕事が決まったことです。京都にあるフェアトレードの事業を行う会社へ転職が決まりました。以前からずっとその会社で働きたいと思っていて、それまで3回採用募集に応募して不採用だったのですが、4度目の挑戦でようやく採用されたんです。わたしは故郷の島根がとても好きで、自然環境が豊かなところでちゃんと経済も回して支えられる仕組みを自分のものにしていつか島根に還元したいと思っていたので、その会社で働けることはその夢を叶える道標になる気がして、とても嬉しかったです。
3年目になると店長を任されるようになり、裁量を持って働く楽しさを感じるようになっていきました。
20代後半で管理職になった頃から、少しずつ生理痛を感じるようになりました。それまで生理痛と無縁だったので、はじめて生理がつらいと思うようになったのはこの頃です。今思えば、慣れない管理職のストレスが生理に現れていたのかもしれません。生理用品にも変化があり、使い捨てナプキン一択だったところから、布ナプキンを使い始めました。働いていたお店で布ナプキンを取り扱いはじめたこともあり、自分でも使ってみようと思ったんです。経血量やスケジュールに合わせて、布ナプキンと使い捨てナプキンをアレンジしていました。
28歳のときに、東日本大震災が起きました。
震災後しばらくして、会社でも復興支援のアクションを起こそうという話になり、このとき遠い京都から東北支援をすることもとても大切なことだけど、自分の大切な人たちのそばにいることの方が自分にとっては大切なことかもしれないと思うようになりました。もし大きな災害が起きたときに、大切な人のそばにいなかったら、わたしはきっと後悔する。そんな気持ちが芽生えました。
そんなことを考えながら暮らしていた29歳のときに、妊娠がわかりました。
ずっと「簡単に子どもなんてできないだろう」と思っていたし、結婚や妊娠・出産をする未来を描いてなかったのでとても驚きましたが、自然の流れに身を任せようと思い、お付き合いしていたパートナーと結婚しました。
妊娠・出産を経て、変化はありましたか?30代はどのように過ごしましたか?
30歳で出産したのですが、島根の実家に里帰りして3ヶ月過ごして、それから夫のいる京都に戻り、子どもが1歳になるまで子育てに専念しました。そして育休が明けるタイミングで仕事を辞め、家族3人で島根に移りました。
当時、島根ではUIターン支援を自治体が行っていたので、その制度を活用して、格安で住居を借り、夫はUIターン者向けの臨時職員の職を得て、新しい生活が始まりました。わたしは温泉施設で経理のパートをしながら、生活をつなぐ日々でした。
産後、生理に変化が訪れました。生理痛が急に重くなったんです。生理が始まる前日から、体がずっしりと重くなり、 生理1日目は痛み止めがないと耐えられないほどで、生理前から生理2、3日目まで痛み止めを服用しています。約3日間痛みが続くんです。痛みだけでなく経血量も増え、生理ってこんなにしんどいんだと思いました。
その後、第二子を32歳で出産。生活を安定させたいと思い、パートをしながら、自分でECサイト運営を始めました。商品を仕入れて販売することから始め、じょじょに軌道に乗せることができました。5年程前に中国製品を輸入販売していたことがきっかけで、中国で製造販売されている吸水ショーツの存在を知りました。当時はまだ日本では吸水ショーツがほとんど無く、わたし自身も布ナプキンに不便を感じている部分もあったので、その不便さを解消するものが現れたと思い、最初は仕入販売を行いそこから自分で開発、オリジナルの吸水ショーツを日本で販売しました。今も改良を重ねながら販売をしています。
去年島根で開かれたイベントでmurmoの月経カップに出会いました。初めはハードルを感じたけど、実際に使ってみると「こんなに楽になるんだ」と感動しました。経血量が多い日は吸水ショーツ一枚ではまかなえないこともあったのですが、月経カップと吸水ショーツと組み合わせると吸水ショーツも1枚で済み本当に快適で、生理の日々にようやく自由が戻ってきたような気がしました。
-生理をふりかえって、いま何を思いますか?
生理と向き合うようになったのはここ数年ですが、子どもたちとの生活の中に、吸水ショーツを洗ったり、月経カップを置いてあったりする場面が自然にある暮らしを、私はとても気に入っています。
生理や身体のことが、隠したりするような特別なことではなくて、生活のなかに自然にある。そこから深い話ができる関係性が、私にはとても心地良いです。
自分の子どもたちだけでなく、これからの社会がそうなっていけるといいなと思っています。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状がある際はご自身で医療機関にご相談ください。
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