わたしの生理

生理の状況や感じ方は、人それぞれ。表に出てきづらいデリケートでプライベートなことだからこそ、ひとりひとりの生理の経験、心の声に耳を傾けることで、自分を大切にするきっかけに。生理を通して半生を綴るインタビュー。

Vol.017 - なかなか来ない生理 15センチの卵巣嚢腫 平坦じゃなかったから知った生理の大切さ

 

 

りの 33歳 看護師

初経:中学3年生(15歳)

現在の平均生理日数:6日

現在の平均生理周期:32日

現在使っている生理用品:月経カップ、使い捨てナプキン

 

- 生理はどんな日?

いい意味でも悪い意味でも、きてくれたなって日

 

- 生理と聞いて浮かぶイメージは?

女性のもの

 

- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?

中学3年生15歳のときに、1日だけの生理がきました。その後は、2年間もの間、生理がきてくれませんでした。

中学のクラスの女子で、唯一わたしだけ生理がきていなかった状況だったので、学校で友達が生理の話をしているところに入れなかったり、みんなより遅れている、置いていかれている感覚がありました。プールの授業のときに、生理が被ってみんなは休んでいるけど、自分は生理がこないから休めない。知識としては、生理だとプールに入れないってことはわかっているんだけど、私は生理を経験したことがなかったので、プールに入れないって実際にはどういうことなんだろうと不思議に思っていたり、自分はみんなと違うんだなとどこかで感じていました。

初めて生理がきた時は「やっと来たよ!」と母親に伝えると、赤飯を炊いてお祝いをしてくれましたが、一日のにわか生理でそのまま中学を卒業しました。

 

-高校生になってどう変わっていきましたか?

高校は、親元を離れて県外の高校に入学しました。寮生活で、家族と離れて生活していたので、中学以来 生理がきていないことをなかなか誰にも相談できませんでした。当時は携帯電話が禁止で、寮の7台くらい密集してる公衆電話でしか、外部と連絡が取れない状況でした。周りの人に会話が聞こえてしまうのが嫌だったり、部活や勉強に追われる毎日で、わざわざ親に電話して伝える事はしませんでした。高校で新しくできた友達にも、生理がこないことは言えなくて、そのまま高校2年生になりました。

高校2年生のとき、ようやく母親に生理がこないことを電話で伝えました。きっかけは、将来子どもができなくなるんじゃないかと心配になったからでした。婦人科で診てもらおうという話になり、母が遠い宮崎から保険証を持って駆けつけてくれて、ふたりで婦人科に行きました。

そのときの経験は、本当に苦い記憶として残っています。制服でしか外出できない学校の規則があったので、制服を着て婦人科に向かいました。当時は「14歳の母」(ドラマ)が流行っていたこともあってか、待合室で周りの人にすごい目でみられたのを覚えています。さらに、当時の私は性交渉の経験がなかったにもかかわらず、婦人科の医師から「本当に今まで性交渉の経験ないの?」と、親の前で質問されたことも恥ずかしかったです。

エコー所見では、ストレスの影響で子宮が小さく固まっている状態だと言われ、ホルモン注射と内服薬で生理を起こすことになりました。本来、打つはずの注射を、看護師の医療ミスで間違ったホルモン注射を投与されてしまい、倍のホルモン投与のせいで、激しい吐き気で気持ち悪くなってしまい、ご飯が食べられなくなったのを覚えています。注射は一回きりでしたが、ホルモン剤は続けて服用していて、副作用で体重が10kg太りました。

しかし、このときの治療のおかげで、定期的に生理にくるようになりました。内服薬のホルモン剤は半年から1年程飲み続けました。その後、ピルに切り替えるかを打診されましたが、「薬を飲まなくても生理がくるか試してみたいので、飲みません」と伝えて、治療を終えました。

薬を飲むのを止めたあとは、生理は順調にきてくれたので本当によかったです。そのときの医師には「大人になってからよりも、若いときにちゃんと治した方がいいんだよ」と言われ、いろいろあったけど病院に行って治療を受けて、よかったなと思いました。

 

-20代になって生理に変化はありましたか?

私が通っていた高校は、5年制の看護学校だったので、20歳から看護師として病院で働き始めました。

働き始めると、生活がままならないほど仕事が忙しい日々が続きました。一人暮らしだったのと、職場と家の往復ばかりで、スーパーに買い出しに行く余裕もありませんでした。冷蔵庫にわさびしか入っていない日もあって、自分の身体のことを労わる余裕もない生活をおくっていました。

そんな中で、ずっと何かお腹に触れるものがあるな・・と違和感がありました。お腹をさわると、動くしこりみたいなものがあって、ダイエットしても下腹部だけぽっこり出ていたんですよね。気づいてはいたけど、仕事も忙しかったので、ずっとそのまま放置していました。

わたしの母も看護師をしているので、たまたま実家に帰ったとき、母に「お腹に動くものがあるんだけど、さわってほしい」とお願いしたら「すぐ病院に行かないと!」と言われて、内科の診察を受けることになりました。たしか28歳のときのことです。

レントゲンの所見で、かなり大きな腫瘍が見つかり、早急に大腸検査をしましょうと医師からの説明がありました。同じ時期に、父の胃癌が見つかったこともあり、わたしも癌なんじゃないかと母と目を合わせて、外来で泣きそうになったのを覚えています。しかし、CT造影検査で、卵巣腫瘍だということがわかりました。診察を受けたときには、すでに15センチくらいまで腫瘍が大きくなっていて腸も圧迫されている状態でした。卵巣腫瘍は良性が多いと聞いたものの、癌の疑いも説明されていたので、まだ死ぬにはやりたいこともたくさんあるし、会いたい人もたくさんいるのに!と思ったことを覚えています。

その後、29歳のときに婦人科の病院で卵巣嚢腫を取る手術をしました。膿腫のサイズが大きかったので、腹腔鏡下では取りきれず、お腹もすこし切開して取りました。結果的に、腫瘍は癌ではなく、良性のものだとわかったので安心しました。卵巣を取ったほうがいいという話もありましたが、年齢的にも卵巣は残す選択をしました。

手術後は、生理がかなり楽になりました。実は、それまでは歩けないくらい痛かったときもあったんです。外出途中に生理が来ちゃって、痛みで歩けず、漫画喫茶に寄って、薬を飲んで一時間くらい横になって、また歩けるようになるみたいなこともありました。そこまでの辛い生理だったのに、医師に「生理痛、すごく重かったでしょ」と言われるまで、自分の生理痛がひどいものだと気づきませんでした。

腫瘍を取ってからも、生理の時の鈍痛みたいなものはあるけど、歩けなくなるほどの激しい痛みはなくなり、定期的に生理もきてくれるようになりました。

 

-30代になってから今までの生理はどうですか?

今年の7月から婦人科のクリニックで働いているのですが、一日100人以上の患者さんが来院されます。

私生活で、生理の話を聞くことはあまりなかったので、みんなそれぞれの悩みがあることを知りました。検査で、子宮筋腫が見つかる人もいれば、卵巣嚢腫や子宮内膜症、生理がこない人、不正出血がある人、妊娠、デリケートゾーンのいろんな悩みなど、本当にいろんな症状で婦人科を利用されていることを実感しています。

婦人科で、看護師の仕事を通して、いろんな方の生理の話を聞いて、自分自身の生理と向き合うことが増えたかもしれません。恥ずかしいのですが、婦人科に勤め始めてから知ったこともあります。例えば、ピルで生理の日を移動できることとか、ピルにはたくさんの種類や、様々な用途があることを知りました。

 

-生理をふりかえって、いま何を思いますか?

生理痛がすごく重いことや、量が多いことは、普通ではないことを知って、知ることから対策できることがあると思います。知識ってすごく大事だなって思うし、知ることで不安が軽くなることもあると思います。

身体が無理をしているときや、頑張りすぎているときは、生理にも影響が現れてくるものなんだと、気づかされることもあります。

なので最近は、ストレスを溜めすぎないように気をつけています。小さいことだけど、気持ちが落ち込んだときは美味しいものを食べたり、日々が忙しくてもキャンドルを炊いて癒しの時間を作ってみたり、以前よりも自分を大事にしてあげれる時間も、意識して作るようになったかもしれません。

前は辛い修行のような日々に感じていたものが、30代になってからは自分との向き合い方を身につけてきて、いい意味で少しずつ生活も生理も「楽」になってきたと思います。

生理は、いいことばかりじゃないけど、これからもいいお付き合いができていけたらいいなと思います。

 


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