Vol.013 - 時間をかけて知った心身のこと 今は思える “私の身体は私のもの”
秦レンナ 39歳 ライター・エディター
初経:中学1年生(13歳)
現在の平均生理日数:4日間(ピルでの消退出血期間)
現在の平均生理周期:30日
現在使っている生理用品:吸水ショーツ、使い捨てナプキン
- 生理はどんな日?
今はピルによって自分でコントロールしていることもあり、特別なものではなくなっている
- 生理と聞いて浮かぶイメージは?
ネガティブなもの、苦しい、辛いもの、かつてはコントロール不可能なもの
- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?
小学校5年生の頃にはじめて経血が出て、その日は家に走って帰ってインターホンで、「お母さん、生理になった!」って言ったのを覚えています。当時、女の子の間では生理はセンセーショナルな出来事で、生理になるのは大人でイケてること、という感覚があったので、そのときはすごく嬉しかったんです。ですが、経血が出たのはその一回きりで、結局それが生理だったのかはわかりませんでした。
その後、13歳、中学校1年生のときに本当の生理がきました。その頃になると周りはみんな生理がきているのに私にはきていないという状況で、心配だった中で、やっときた!と思いましたが、もうお母さんに喜び勇んで生理がきたことを言った記憶はないですね。淡々としていたと思います。
中学校の頃の生理についてはあまり記憶がないんですけど、それはつまり、そんなにつらいものじゃなかったんだと思います。
-高校生のときのお話を聞かせてください。
高校生あたりから生理痛がひどくなっていったのと、生理前に気分の浮き沈みが出るようになりました。「生理前だから」みたいなフレーズが友達間でも出ていて、生理前は気持ちが乱れるもんなんだなとは思っていたんですよね。その頃は自己分析ができていないので深く理解はできていなかったんですが、ある時期になると毎回彼氏とケンカしたり、イライラしやすかったりということは感じていて、彼もそれにうんざりしていたことを覚えています。
彼は幼なじみで、中学を卒業したくらいから付き合うようになり、お互い生理中にセックスすることに嫌悪感がなかったこともあって、生理のときもタオルを敷いてしていました。
-大学生以降で起きた出来事や変化はありますか?
彼との関係は長く続いて、19歳になったばかりの頃、妊娠しました。当時、彼は専門学校に入学したばかり、私も大学に入学してまもなくだったこともあり、中絶を決めました。親に言うまでは相当思い悩み、ふたりで土下座をして伝えました。
手術後、私は注射が必要とのことで通院していたのですが、手術そのものより、それがつらかったですね。子どもはふたりによってできたのにその後は全部ひとりなんだって思いました。しばらくすると、再び生理がくるようになるわけですが、生理がくるたびに、自分が子どもをおろしたことを思い出してしまうんですよね。もちろん常に考えてはいるんだけど、どうしたって自分の身体で思い出してしまう方が感覚としては強烈で。身体で忘れられないという気持ちでした。自分がいつまでもそこから動けないでいるのに、一方の彼はひとり新しい生活を進んでいるように思えたし、ちっとも苦しんでもないようにも見えて、そこで私の心が曲がってしまったような感覚があります。ただ、彼とはその後、同棲を始めて、社会人になってから結婚しました。彼はどうだかわからないけれど、私の中では「中絶したことの責任をとらなきゃ」みたいな気持ちもあったと思います。
少し遡るのですが、大学生時代にはますます生理痛がひどくなって、救急車を呼ぶようなことも頻繁にありました。出先で生理の痛みに意識を失いそうになって焦って呼ぶものの、病院に着くとケロッとしてしまうから不思議でした。実は私の姉も同じような状況だったので、家系や体質的なものなのかなと母は心配はしていたけれど、どうしたらいいんだろうねと言いながらも、特に何もしませんでした。
ただ、一度救急車で運ばれたときに、そんなに生理痛がひどいなら診察を受けたほうがいいと言われ、婦人科にかかりました。そのときに多嚢胞性卵巣症候群だと言われたものの、当時は20歳そこそこで、言われてもピンとこず、医者からも特に治療について言われなかったこともあって深く考えないまま放置してしまいました。その頃は「生理は痛くてつらいもの、仕方ないもの」で、思考が止まってしまっていたんです。
-社会人になってから、生理とはどのように付き合っていたのですか?
結婚した彼とは結局離婚をして、27歳のときに新しいパートナーができたのですが、避妊に失敗してしまい、再び妊娠したんです。医師に「あなたは多嚢胞性卵巣症候群だから体質的に非常に子どもができにくい、96%くらい自然妊娠は難しい」「難しい状況で妊娠できたということを考えた方がいいし、もしかしたら今後スムーズには妊娠できないかもしれない」という内容のことを言われ、正直私は悩んだのですが、彼が受け止めることができなかったんですよね。一人で産んで育てる自信もなく、中絶を選択せざるを得ませんでした。
そのときは、一気にその妊娠を終わらせたという感じで、痛みを感じる暇もあまりなく、手術の次の日も仕事をしました。当時、私は百貨店でジュエリー販売の仕事をしていて、ずっと立ってニコニコしながら接客をしているんだけど、前日にはそうやって中絶をしたばかりで、気持ちもすごくつらかったし、体調もすごく悪かったです。なんでこんなことになっちゃったんだろうという気持ちを抱えながら、お店に立ったのを覚えています。
その体調の悪さを引きずってなのか、その後からおりものが大量に出るようになりました。立っているときにおしっこみたいに足首までおりものがバーって出てきちゃう状況だったんですが、病院には行きませんでした。子宮周りがおかしい感覚がずっとあったけど、どうしていいかわからない。仕事しなきゃいけないし、一人暮らしだし、婦人科に行こうみたいな余裕は当時はなかったです。
振り返ると不思議ですね、なんで病院行かなかったんだろう...全然理解できない。なんであんなにひとりだったんだろう。周りにも生理や身体の話をしませんでした。働いてる勤務先も友達にも一切話をした覚えがないし、その点においては孤独だった気がします。
ジュエリー販売の仕事をする前は、出版社で働いていました。新卒で入社して、ずっと夢見ていた編集者になりたいと必死にやっていたのですが、実際はそう甘いものではなく、3ヶ月間休職をした期間がありました。ご飯が食べられなくなって激ヤセしてしまい、生理も半年間なくなっていて。だけど仕事が忙しすぎて、自分の身体のことを考える暇もなかったし、毎日いっぱいいっぱいで、なにもできなかったんです。
休職後なんとか復帰したものの、やはり精神的には不安定だし、今までのようには働けず、さらに離婚が重なったこともあって、編集者になる夢は一度諦めることにしました。思えば、あの頃はかなりつらかったですね。中絶なんかしなくてはいけなくなったから私はこうなっちゃったんだって、なにかのせいにして、生きていたと思います。
-それでも再び出版業界へ戻って働き出したのですね。30代の生理はどのようなものだった?
30歳以降は、今と同じ編集やライターの仕事をしていたのですが、あるとき性教育のイベントを取材したんです。婦人科の先生が性教育や中絶をテーマにお話されていたのですが、「中絶は選択であって、それが罪や罰だと考える必要はない、それは、自分の人生のための選択だ」という内容のことをおっしゃっていたんですね。私はそれまでまさに罪を背負って生きてかなきゃいけないんだって思って生きていたので、中絶したことを人にもあまり知られないようにしてしていたし、自分で自分を許せていなかった。だから、先生の言葉に驚くとともに、すごくほっとしました。思い返せば、私は働きたかったし、子どもを育てるイメージもなかったからこれでよかったんだって、初めて思えました。そのときに、私はこういうことを伝えていかなきゃいけないんじゃないかって思って。この仕事を通して性のことや女性の生き方についてを伝えていこうと気持ちが固まったんです。私のような女性はきっとたくさんいるだろうと思ったから。
それから積極的に情報を取ろうと動き始めたら、生理や女性の身体の話をどんどん知るようになり、自分が今まで放置していたことは大変なことで、早く知るべきだったと後悔もしました。
その後、あるWeb媒体で低容量ピルのことを記事にしました。学ぶような気持ちで取材させてもらったのですが、私自身、低容量ピルの存在はもちろん知っていたものの、避妊のために使うものという認識だったので、PMSを緩和する効果があることなども知って、自分が飲まない理由はないし、トライしてみようと飲み始めました。自分の身体のために積極的に選択をできていることが嬉しかったです。私はそのとき30代半ばでしたが、子どもを産むか産まないかも決められていなかったし、もしかしたら産む可能性もあると考えると、排卵を止めて子宮と卵巣を守っておくことも、自分でできることの一つだと思いました。
ただ、低容量ピルも体質などによって相性がありますし、最初は不安もあったのですが、3ヶ月くらいで身体が慣れてきたら、ホルモンバランスによって心が大きく乱れることはなくなったし、出血も決まった時期に来るので心構えもできるようになり、何より自分で自分のサイクルをコントロールできる安心感を得られるようになりました。これまで痛くてつらいもの、仕方ないものと思ってきた生理への意識が大きく変わったんです。それ以来、低容量ピルを服用しています。
-生理をふりかえってどう思いますか?
中絶を経験したことによって生理だけじゃなくて、身体との向き合い方も変わってしまい、私は中絶をした人間だからつらくて当然という思いがずっとあったと思うんですよね。でも、「中絶は選択」だと医師に言ってもらったときに、自分の身体に対しても選択的に考えられるものなんだって、やっと気づくことができました。それこそSRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツ)だと思うけど、「私の身体は私のもの」という感覚が芽生えて、そうして自分に興味を持てるようになって、情報を得たり、それにまつわる仕事をしようっていう自分の矢印の向きが大きく変わりました。自分の生理の問題をどうにかできるかもしれないって思い始めたっていうこととして、自分の中絶経験と生理が密接に関係してるんだなって思いました。
「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、気になる症状がある際はご自身で医療機関にご相談ください。
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