わたしの生理

生理の状況や感じ方は、人それぞれ。表に出てきづらいデリケートでプライベートなことだからこそ、ひとりひとりの生理の経験、心の声に耳を傾けることで、自分を大切にするきっかけに。生理を通して半生を綴るインタビュー。

Vol.003 - 子宮をなくして気付いたからだの大切なバロメーター




M.H 42歳 会社員
初経:10歳 現在の平均生理日数:なし(子宮摘出済み) 現在の平均生理周期:なし(子宮摘出済み)
現在使っている生理用品 なし


- 生理はどんな日?

水泳をやっていて毎日プールに入っていたから、自分のキャリアに影響がでる苦痛なもの。


- 生理と聞いて浮かぶイメージは?

重くはなかったので、特には何も。学校にナプキンを持っていくみたいなことが恥ずかしくて嫌だな〜って軽く思ったくらい。


- ここから、生理を軸にご自身の半生をふりかえっていきたいと思います。初経はいつですか?どんな風に覚えていますか?

初潮は小学校5年生です。生理のことは学校でも聞いてて知っていたけど、パンツに茶色っぽいものがついたな、まさかこれってそうなの?って思って、でも母親に言いづらかった記憶があります。早くに生理がはじまった方だと思うので、周りの友達で生理の話をする人はいませんでした。体育の授業を見学する子がだんだん増えてきて、それで生理だなってわかるようになっていった感じです。


-水泳は何歳から何歳までやっていましたか?

1歳から22歳まで。小学1年生から選手コースに入って毎日スイミングに通って、大学4年生まで続きました。国体やインターハイなど全国大会にも出ていました。


-生理のときは水泳どうしてたんですか?

タンポンもつけたことなくて、なにもつけずに泳いでました。私は生理が軽くて、量も少ないし日数も3日だったから大したことなかったけど、中には生理が重いチームメイトもいて、その子はプールでの練習はできなくて、陸上でトレーニングしてました。何があっても休めないって環境だったし、生理を恥ずかしいとか言える状況じゃなかったです。

たまたまチームは9割女子生徒で、みんなで助け合ってたから恥ずかしいとかはなかった。プールサイドのタイルが白だったんだけど、プールに入ってる時は水圧で経血はでないのに、プールから上がったらドバッと出てきちゃう。それをみんなでバケツの水でばーっと流すみたいなことを当たり前のようにやっていました。コーチは男性で、かつ男子のチームメイトも2人くらいいたけど、そういうものって感じで気にしてなかったですね。

スタートダッシュっていう、スタート台からスタートしてタイムを測る練習があるんだけど、経血が出ちゃうときがあって、スタート台の後ろに並んでる子に、「出てたらごめんね」って言って、「大丈夫だよ」ってやりとりをしたりしましたね。プールサイドにいるときは、セームタオルでおさえたりして、気にはしながらみんなやっていた感じです。

練習のときはチームメイトしかいないからいいんだけど、試合や合宿のときって他のチームの人たちもいっぱいいて、しかも自分が泳ぐ前にプールサイドで1時間位待ったりするので、量が多い人とかは、ナプキンをつけた状態で行って入る前に取り外したり、中学生以降は先輩はピルを飲んで試合日に被らないように調整したりしていたと思います。あとは、運動のしすぎで、3ヶ月生理が来ないみたいな人もいました。生理に悩まされて、そのせいで結果が出ないって苦しんでいる人もいたから、私は量が少なくて、症状も軽くて、本当に恵まれていました。
あと、高校生か大学生くらいのときからスパッツ型の水着が出てきて、割と経血が垂れるみたいなことがなくなって、すごく安心感が増したのも覚えてます。


-その後、大人になってからはどうですか?

水泳をやめて社会人になった後も、生理がとにかく軽かったので特に悩みもなく、ナプキンもめっちゃ安くて分厚いゴワゴワしてるやつを使ってました(笑) 1日に一回取り換えればいいくらいの量で。生理期間が3日で生理周期も38日だったから、とにかく楽ちんだった。PMSも全くないという状態で生理のことは気にせず忙しく働いていました。でも、30代半ばくらいに転職して少し時間に余裕ができたら、PMSを感じるようになった。年齢もあって変わってきたのもあると思うけど、感じる余裕ができたというのもあるかなと思いました。


-それから今に至るまでにどうなっていきましたか?

私は去年子宮頸がんになって子宮を全摘出したので、もう生理はありません。
きっかけは、外陰部にイボができてそれを診てもらいに婦人科に行ったことです。イボ自体はなんの問題のないイボで、でもそのときに直近やってなかった子宮頸がんの検査をしておこうとなって、その検査で子宮頸がんの疑いが発覚しました。最終的には2回手術して、2回目で子宮を全摘したんですけど、1回目の時点で医師からは「子宮全摘」って言われて、その瞬間は子どもを産みたいって発想はもう既になかったんだけど、なんとなく、可能性がなくなるとか生理がなくなるみたいなことに関してはやっぱりちょっとショックで、がんであるっていうこと、子宮を摘出するっていうことへのショックはすごいあったかな。今思えばですが。
それでも命を優先しなきゃいけないということで、2回の手術で摘出したわけです。でも1回目で子宮頸部を円錐切除して、がんの部分は切除できたと聞いたので、その後に「予防のために子宮全摘すべき」と言われたときは、「3年ぐらいは経過観察ができないのか」と医者に伝えました。それは子どもを産む産まないに関わらず、いつ何どき人生変わるかわかんないから子宮の機能は残しておきたいと思って。出会いがあるかもしれない。そのときに出会った人がどうしても子どもが欲しいって言ったときに産めない体よりは可能性だけは残しておきたいと思った。だけど、どうにもこうに40歳の段階で、セカンドオピニオンも経てやっぱり全摘した方がいいとなり、41歳で全摘を決意しました。


-閉経を迎えて、身体や心の変化はありましたか?

手術の怖さとか大変さもあったけど、終わった後の喪失感みたいものはあったかな。
あと、本来であれば生理がくるタイミングで来なかったときに、本当に来ないんだなって思ったけど、今はもう何も思わないかな、慣れたって感じです。いまは半年近く経って、生理用品のゴミが出ないし、楽だなって思うようになりました。


-生理をふりかえってどう感じていますか?

結局、出産も経験しないまま閉経を迎えて、何のために生理があったんだ?と思ってしまう自分もいました。出産のためだけじゃないかもしれないけど、少なからず面倒なものではあったから。
でも、生理が来なくなって思うことがあります。
経血の量や色、日程がずれることがあると、あれ?って思うことがあるじゃないですか。体調の変化や疲れがあるかも?といったことを感じることができて、体調のバロメーターの一つになっていたと思うんです。これが、全くなくなってしまうと、尿や便の調子でしか、わかりやすく体内から出るものがないので、生理も自分の体を知る大切なものだったんだなと感じます。こうやって話してみると、やっぱり、寂しい気持ちにもなります。


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