わたしの生理 Vol.058 - 長年、鎮痛薬でしのいだ重い生理 アーユルヴェーダで体質を知って生活を見直した 生理が「バロメーター」に変わった今
Asami 41歳 セルフケアアドバイザー
初経:小6年生(11歳)
現在の平均生理日数:7日
現在の平均生理周期:26日くらい
生理はどんなものですか?
1か月の健康のバロメーター
生理と聞いて浮かぶイメージは?
デトックス
-はじめての生理はいつでしたか?どんなはじまりでしたか?
初経が来たのは、小学6年生の春です。学校と母それぞれから、生理のことを教えてもらったので、多少の知識はありました。でも、生理は赤いものだと思っていたので、茶色いものが付いていたのを見たときは、生理だと確信できず、母を呼んで「これ、なんだろう」とパンツを見せました。「生理だね。おめでとう」と言われて、ようやく生理が来たんだとわかりました。母に伝えることを恥ずかしいとは思いませんでした。
そのあと、お赤飯でのお祝いを母は考えたものの、思春期かつ反抗期まっただ中の3つ上の兄が嫌がるかもしれないと思った母が兄に確認したそうです。母が心配した通り、兄は「そういうのは恥ずかしい」と拒否したので、お赤飯や家族揃ってのお祝いはありませんでした。私自身、お祝いがなかったからといって、残念という気持ちは特にありませんでした。
-小学生のときの生理はどんな状態でしたか?
最初から生理痛が重く、体育の時間に立ちくらみを起こしたこともありました。
生理のときは毎回体調が悪くなるので、担任の先生に「今、生理です」と、毎月生理が来るたびに伝えていました。なぜそうしていたか自分でもよく覚えていないのですが、30代くらいの女性の先生だったので、話しやすかったし、体調が悪くなることを分かっていてほしかったのだと思います。先生はさらっと受け止めてくれました。
母や担任の先生に生理のことを臆さず話せたのは、母が最初に「生理は恥ずかしいものじゃない」という雰囲気で伝えてくれていたから、自然とそういう感覚が育ったんだと思います。
生理周期は、25日と短めで安定していました。大人になっても、乱れたこともほとんどありません。25日周期だと月に2回来ることもあるのですが、その周期が当たり前だったので、大人になってから友人に話したら「早っ」と驚かれて、「私はみんなより周期が短いんだ」と、初めて気づきました。経血量も多く、漏れてしまうことも多々ありました。ただ当時は、自分の生理しか知らないため、そういうものだと受け止めていて、それ以上深く考えることはなかったです。
-中学生のときの生理で覚えていることはありますか?
一番記憶に残っているのは、中学3年生のマラソンの日のことです。運悪く、生理2日目がかぶってしまったのですが、走り終わったら、急に生理痛がひどくなって、立ち上がれなくなってしまいました。友達が腰をさすってくれて、しばらくしたら落ち着いて、自力で歩くことができたので、大事にはなりませんでした。
部活は陸上部で、走ることは日常的でしたが、走った後に立ち上がれなくなるようなことはそれまで経験したことがなかったです。私の種目は、短距離と高跳びで、長距離ではありませんでしたが、それでも走り慣れていたので、立ち上がれなくなったときは驚きました。
中学生のときも、生理痛は重かったですが、市販の鎮痛薬を飲んでしのいでいました。母が勧めてくれたことが服用のきっかけだったと思います。
-中学を卒業してから、どんな道に進みましたか?生理や身体に変化はありましたか?
高校は、地元の進学校に進学しました。部活は、サッカー部のマネージャーです。マネージャーなので、激しく動くことはなく、部活の生理で辛かった経験はありません。小中学生のときと同じで、痛みはあったし、鎮痛剤も飲んでいたと思うのですが、「私の生理はこういうもの」という感覚がすでに定着していたからか、部活に限らず、高校時代の生理で特別記憶に残っていることはないですね。
ふりかえってみると、この頃には、生理前になると、気持ちが不安定になったり、ちょっとしたことで涙が出てしまうメンタルのゆらぎがあったと思います。でも当時はそれを表す言葉を知らなかったし、自分の気持ちを客観視することは難しくて、どうにかやり過ごすのに精一杯でした。
高校3年生のときに、進路を決めるときは悩みました。頑張って高校受験して、進学校に進んだものの、高校生になってからは、糸が切れてしまい勉強を頑張る気持ちになれませんでした。それで成績が落ちてしまって、これからどうしようと思ったんです。そんな私を見て、「大学以外の道もあるんじゃない?専門学校とか、違う選択肢もあるよ」と親が言ってくれました。
当時のバイト先で、子どものお客さまと接することが楽しく、サッカー部のマネージャーとして部員のケアをすることも好きで、ピアノも弾けたので、「保育士が向いているかもしれない」と思い、保育の短大に進むことにしました。
-短大でどんな経験をしましたか?
短大は実家から通っていました。片道1時間半の通学です。当時は全然平気だと思って通っていたけれど、今考えると結構大変でした。2年間のカリキュラムのため、短い分ぎゅっと詰まっていて、月曜日から土曜日までびっしり授業があったんです。実習もなかなか大変で、とにかく忙しかったです。それでも子どもはかわいくて、無事に資格を取得しました。
就職活動は、スムーズでした。タイミングよく募集をしていた近所にある保育園に採用されて、就職が決まりました。
-働き始めてから、生理や身体に変化はありましたか?
20歳で就職、保育士としての社会人生活が始まりました。この頃も、生理の状態は変わりませんでした。
ただ、保育の仕事は、その場を離れられないタイミングが多いため、自分のタイミングでトイレに行きづらく、生理中の不便さを感じることが増えました。経血量は相変わらず多かったので、漏れないように早めにトイレに行くようにはしていましたが、吸収量の多いタンポンをナプキンを組み合わせて使うなど、自分なりに対策をしていました。
生理前に気分が不安定になったり、イライラしたり、普段は泣かないようなことで涙が出てしまったりすることも、だんだん自覚できるようになっていきました。とはいえ、まだこのときも、自力で対処することはなかったので、生理が来ることへの憂鬱感は、今よりも強かったです。
仕事環境については、職場の人間関係のトラブルで大変な時期も正直ありましたが、働きやすく居心地のよい職場でした。結果的に7年半、新卒から同じ保育園で働きました。
-7年半後に仕事を辞める理由はなんでしたか?どんな転機がありましたか?
出産がきっかけです。私は、26歳のときに結婚したのですが、結婚してわりと早く、妊娠したものの、そのときは初期流産をしました。ショックでしたが、病院の先生に「次があるから大丈夫」と言ってもらえたことと、職場の人に話したら「私もそうだったよ」と同じ経験をした人が何人もいることがわかったことで、比較的早く前を向くことができました。
でも、処置の後1週間ほどはとんでもなくお腹が痛くて、仕事を休みました。あの期間の辛さは今でもよく覚えています。
その翌年、再び妊娠し、28歳で第一子を出産しました。
妊娠中は、万事順調というわけではありませんでした。妊娠後期に、切迫早産と診断されたんです。そのときは、実家に帰って約1ヶ月間、ひたすら安静に過ごしました。臨月に入ってからは「あとは動きなさい」と病院で言われて、自宅に戻り、なるべく動くようにして出産を迎えました。
出産は4時間ほどで比較的スムーズだったと思います。ただ、「いきみ逃し」の時間が長くて、子宮がグーッと押されるのに「いきんじゃいけない」とよく言われて、「じゃあどうしたらいいの!?」と苦労した記憶はあります。
出産を機に、勤めていた保育園を退職しました。戻ることも考えましたが、「自分の子を預けながら、他の子どもをみる」ということが、私にはどうしてもつらいだろうなと思ったんです。私が勤めていた保育園は、所属する保育士が、自分の子どもを預けることができる園でしたが、育休から復職した先輩を近くで見ていて、大変そうに感じたこともあったし、休職している最中に「何月までに戻らなきゃいけない」という期限を頭の片隅に置いた状態で、自分の子どもと過ごすのも苦しいと思い、夫と相談の上、退職を選びました。
-いつ生理が再開しましたか?妊娠前と変化はありましたか?
第一子が1歳になる少し前に生理が再開しました。生理痛も経血量も生理周期もすべて、産前と変わりませんでした。
始めての自分の子どもの育児は、保育士として約7年子どもと向き合ってきたおかげで、オムツ替えのやり方に始まり、こういう時はどうするかという知識や手順を知っていたし、いろんな子どもの発達を見ていたので、不安はあまりなかったです。でも、いざ自分の子を家でひとりで見るというのは、保育園という整った場所で複数の保育士と連携して子どもたちを見るという環境とは、全くちがうものだとも感じました。
それから、29歳で第二子を妊娠、30歳のときに出産しました。
-第二子の妊娠・出産は、第一子のときとちがいましたか?
今回も切迫流産の診断を受け「安静に」と言われたのですが、上の子がまだ小さかったため、入院ではなく自宅での安静を選びました。第一子のときは、実家で安静にしていましたが、この頃、母が亡くなったこともあり、私は、自宅のリビングにマットを敷いて、ひたすら横になって、その横で第一子が遊ぶ日々を送りました。第一子は女の子だったこともあってか、激しく動き回るタイプではなかったですが、それでも外にあそびに連れて行くことができず、つまらない思いをさせてしまったと思います。
そんな時期もありましたが、無事に30歳で出産しました。今回は分娩台に乗ってからしばらくは定期的な軽い陣痛が続いていたので、音楽を聴いてリラックスしながら待つことができました。最後の20分でいきなり陣痛が強くなって、そこからはあっという間でした。妊娠中は大変でしたが、出産自体は1人目と比べるとずっと楽だったと思います。
第二子を出産してから、2歳半のお姉ちゃんの赤ちゃん返りがありました。「上の子のケアを優先しなさい、下の子は泣いてても大丈夫だから」とアドバイスをもらっていたので、その通りにするようにしました。
出産後の生理はまた産後1年後くらいに再開。周期も痛みも量もほとんど変わりませんでした。私の生理は小学生のときからずっと、ある意味、安定していました。
-30代はどんな時期でしたか?生活や身体の変化はありましたか?
30代前半は、子どもたちがまだ小さく、子育てに必死で、自分の身体をケアする余裕がなかった時期です。このときの記憶が抜け落ちているくらいです。
基本的な生理の状態は変わらずでしたが、子どものイヤイヤ期も大変な時期で、PMSもひどく、生理前の1週間くらいからイライラしたり、普段泣かないようなことで泣いてしまったりと不安定で、今思えばつらかったですね。
そんな中で、転機になったのは、下の子が幼稚園に入ったタイミングでした。子どもが幼稚園に行っている間、自分の時間が持てるようになったことで、心に余裕が生まれて、少しずつ気持ちが自分に向いてきた感覚でした。
その時間を使って始めたのが、ハンドメイドのアクセサリー作りです。以前からアクセサリーづくりをしていたのですが、2人の子育てで中断していました。最初のきっかけは、20代前半の頃、友人に「パーツ屋さんに行きたい」と誘われて、一緒にお店に行ったことでした。その友人がアクセサリー作りの上手な子で、「こういう世界があるんだ」と知って、自分でも作るようになったんです。
もともと私は金属アレルギーがあって、市販のアクセサリーをそのまま付けるとかぶれることがあり、パーツを自分で取り替えることがあったのですが、「だったら自分の好きなデザインで、オリジナルで作ればいいんだ」と気づいたんです。最初は自分のために作っていたものを、少しずつフリマアプリやハンドメイドサイトで販売するようになりました。技術を深めたくて、通信講座でアクセサリー作りの基礎を学んだこともありました。
2人目の妊娠中から出産以降はそれどころではなく、ずっとお休みしていたので、下の子の幼稚園入園のタイミングで再スタートでした。
ネットで販売するだけじゃなくて、マルシェにも出店しようと動き始めたのですが、ちょうどコロナが始まってしまい、家にこもる日々に逆戻りしました。コロナの閉塞感もあって、創作意欲も湧いてこなくなり、しばらくはのんびりした時期が続きました。
その後、コロナが落ち着いて、少しずつマルシェが再開されて、私も出店するようになって、社会との接点が増えていきました。
食への意識が変わってきたのも、この頃です。息子に食物アレルギーがあり、食材の成分表示を細かく確認するようになったことから、添加物に目を配るようになりました。そこから何を食べるかということを、より意識するようになって、朝ごはんのパン食をお米に切り替えたら、私自身もPMSのイライラが少し落ち着いてきたりと、食べるもので体調の変化を感じるようになりました。
-30代後半以降で、転機や変化はありましたか?
30代後半の頃、長年の悩みだった便秘をどうにかしたいと思って、あれこれ調べているうちに、アーユルヴェーダに出会いました。「体質によってアプローチが違う、その人それぞれに合ったケアがある」ということを知り、「自分の体質はどんなものだろう」と興味が湧きました。
本やインターネットで独学しながら、あるアーユルヴェーダの先生のワークショップにも参加しました。その先生のお話がとても面白くて、もっと深い部分まで知りたいと思うようになりました。ただ、講座への参加は金額的に踏み出せなくて、約1年半迷いました。それでも「1年半経っても、まだやりたいと思っているということは、本当にやりたいんだ」と思い切って申し込みました。
学んで分かったのは、「消化力を上げる」ということが、根本にあるということでした。自分の体質に合わないものを食べると消化できず、それが体に蓄積されて毒素になり、やがて不調につながるという考え方です。「これを食べたらどうなるか」「これを食べたら調子が良かった」という「原因と結果」を見る習慣がついて、自分の体を観察することが楽しくなっていきました。
便秘については、すぐ改善したわけではありません。先生から「長年続けてきた習慣がある分、すぐには変わらないよ」と言われて、気長に向き合うようになりました。それよりもむしろ、身体全体のことを考える視点を持てたことの方が、大きな変化でした。
アーユルヴェーダに加えて、同じ先生のヨガの哲学を学ぶ講座も受けました。アーユルヴェーダとヨガは「姉妹のような関係」と言われるくらい深く繋がっているとのことで、今は対面でヨガ講師の資格取得に向けて学んでいます。学べば学ぶほど深くて、「まだまだ学べることがある」という感覚が続いています。
-アーユルヴェーダを学んだことで、生理に変化はありましたか?
私の場合は、劇的に変わりました。一番顕著だったのは、コーヒーをやめて、スパイスを使ったチャイに切り替えたこと、さらに、料理にも体調に合わせたスパイスを使うようにしたことです。そうしたら、切り替えた翌月の生理から一気に生理痛が軽くなりました。
学生のときから30年近く鎮痛薬で生理をしのぐのが当たり前だったのに、今は鎮痛薬いらずです。2日目にお腹が重だるい感じはありますが、「痛くて耐えられない、薬を飲まなきゃ」という状態には全くなりません。生活の変化でここまで変わるとは思っていなかったので、本当に驚きました。
PMSも、子どもたちが成長して、手がかからなくなってきたこともあるかもしれないけれど、以前のようなひどいイライラはほとんどなくなりました。
以前は、辛く憂鬱なものでしかなかった生理が、今は、身体の状態を知るためのバロメーターになりました。辛さもありません。
生理用品では、月経カップをこないだから使い始めました。murmoにマルシェで出会ったことがきっかけです。それ以前に他の月経カップを使っていた友人から「入れるのが大変だった」と聞いていたので少し不安でしたが、タンポンを使っていたこともあって、思っていたよりすんなり使うことができました。まだ使い始めたばかりですが、これからもっと慣れていけたらと思っています。
-今はどんな活動をされていますか?
マルシェでの出店で、アクセサリーの販売だけでなく、アーユルヴェーダの体質チェックやスパイスを使ったお茶の販売、耳つぼの施術をしています。耳つぼは、アーユルヴェーダとの相性もよく、組み合わせて考えるとすごく面白いんです。
アーユルヴェーダについては「怪しい」「スピリチュアルっぽい」という印象を持つ人もいて、最初は発信することをためらっていた時期もあったのですが、全くそんなことはないし、私自身が学んですごく体調がよくなった実体験があるので、そのことも踏まえて伝えていこうと思い、発信もしています。将来的には講座もやっていきたいと思っています。
-生理をふりかえって、いま何を思いますか?
自分の体調に意識を向けることは、とても大切だと思います。私は、小学生の頃から毎月生理痛があって、長年、鎮痛剤でしのぎ続けてきました。でも、なぜ痛いのか、原因がどこにあるのかを知ろうとしたり、誰かに相談しようと思うこと自体、ほとんどありませんでした。
アーユルヴェーダを学んで、身体に向き合う視点を持てた30代後半以降、私は身体が楽になりましたが、もっと若い頃から知っていたら、ずいぶん違っていたかもしれないと思います。症状が出てから対処するだけではなく、一人一人違うその原因を知って根本からケアする視点を早く持てたら、もっと多くの女性の生理が楽になるんじゃないかなと感じています。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、感じ方には個人差があります。気になる症状などがある際はご自身で医療機関にご相談ください。