わたしの生理 Vol.056 - 妊婦・出産のケアから 6歳までの子どもの保育まで 助産師として、今伝えたいこと
EIKO 35歳 助産師
初経:小学6年生(12歳)
現在の平均生理日数:約5日
現在の平均生理周期:28〜30日
生理はどんなものですか?
昔は動きが制限される厄介なもの、今は自分の体調を知る大切なもの
生理と聞いて浮かぶイメージは?
血!シーツとかショーツに漏れているイメージ
はじめての生理はいつでしたか?どんなはじまりでしたか?
初めての生理は小学6年生でした。親戚と遊びにでかけていたとき、ショーツに茶色っぽいものがついているのに気づき、「生理が始まったんだ」と思いました。すぐ家に帰って母に見せました。母は「生理が来たね」と同時に「避妊しないでエッチしたら子どもができるんだよ」と教えてくれました。そう言われて、「私も大人になったんだ」と思ったことを覚えています。
生理のことは知っていました。知ったきっかけは、小学3、4年生くらいだったと思います。同じクラスに早く生理が来ていた子がいて、ランドセルからこそこそとナプキンを取り出してトイレに行く姿を見て「生理が始まるとこそこそとトイレに行く」というイメージを持っていました。学校でも、女子だけが集められて生理のことを教わる機会がありましたが、具体的な内容はあまり覚えていません。
初経を迎えた小6から卒業するまでの間の生理の記憶はまったくないです。初経が来たのが小6の終わりの方だったこと、そして当時は生理痛もなく、つらい思いをしなかったので、とくに記憶に残ってないんじゃないかと思います。
お母さんから初経のときに避妊についての話を聞いたということですが、性教育があるような家庭でしたか?
いや、そんなことないです。私は助産師ですが、母はそういった性や出産にまつわる仕事をしていたわけでも、すごく性教育に熱心ということでもなかったです。でも、きちんと必要なことを隠さずに的確に教えてくれる人で、家庭内は話しやすい雰囲気だったと思います。
今も両親には隠さず何でも話せる環境で、月経カップを使い始めた時も「これ、革命だよ」と家で報告したら、「こんな大きいもの入るん?」と驚かれたりもしました。そうやって生理の話題を家族の前で普通にできる環境で育ったのは、自分にとってすごく良かったと感じています。
中学生になって、生理や身体に変化はありましたか?
生理自体に変化はなかったです。この頃から経血量が多いと感じていました。寝てる間にシーツに漏れた経験もあります。でも、月経周期は整っているし、月経痛もまったくありませんでした。周りの友達に生理でつらそうにしている子もいなくて、生理はそんなものだと思っていました。
ただ、私は卓球部に所属していて、ステップを踏む動作や、素早く走ったりする機会が多かったため、生理中はいつもハラハラしていました。経血がドロッと漏れてくる感覚はすごく嫌だったし、この頃の生理用品は、今ほど選択肢がなく、普通のナプキンを使っていましたが、密着度の低い体操服では漏れていないかずっと不安でした。
中学2年生の頃、年上の人と付き合うようになりました。相手は「コンドームをしないことがカッコいい」というような感じで、避妊をしてもらえないことが多く、それでも当時の私は「好きだから」と性的な関係を持ってしまっていました。避妊していない不安から、友達から聞いた「激しい運動をすれば大丈夫らしいよ」といった、都市伝説をなぜか信じてしまい、そのために毎日全力疾走で登下校していました。今思うと、性に関する浅い噂話に振り回されていた自分が不思議です。
基本的に、生理周期は整っていましたが、避妊できていない不安を抱えているときは、生理が遅れるという経験をしました。このときに、メンタルと生理が連動していることに気づいたことを覚えています。保健体育の授業では、生理の仕組みくらいしか教わらず、もっと実践的なことや身体を守るためのことを教えてほしかったとふりかえって思います。
その後、地元の高校に進学しました。
どんな高校生活でしたか?生理や身体のことで覚えていることはありますか?
生理の変化はありませんでした。恋愛相手も高校生になり、お互い避妊するのが当たり前という考えだったので、中学時代の不安は解消されました。
高校生活の生理といえば、部活がとても大変だったことです。ボート部に入って、全国大会にも出場するくらい真剣に取り組みました。川で艇を漕いでタイムを競うのですが、これは全身を使うダイナミックな競技で、漕ぐ際の反復運動によって、生理中はナプキンがずれたり、ナプキンとデリケートゾーンの間で摩擦が激しく起こります。ナプキンの表面がボロボロになるくらい激しくて、かゆみや臭いに相当悩みました。天気や川の状況によっては、がっつり濡れるため、血と川の水を吸ったナプキンの不快感も最悪でした。
親に相談したところ、タンポンを勧められ、ドラッグストアで買って初めて使いました。当時はネットの情報も少なく、説明書をひとりで読んで、試してみました。部活のときに使ってみたものの、角度や位置が正しくなかったようで、ボートを漕ぐ動きに合わせてタンポンが刺さる感じで、とにかく痛くて、一度であきらめてしまいました。
使い方をお母さんや友達に相談することはなかったですか?
確かに、母がタンポンを勧めてくれたし、使用経験もあったはずなので、まず母に相談すればよかったと思うのですが、当時はなぜか相談する発想もなく、タンポンは絶対無理!と思い、ナプキンに戻りました。臭おうがかぶれようが、ナプキンで過ごすしかない、というあきらめモードです。もし当時、月経カップのような選択肢があれば、どれだけ救われただろうと今は思います。
同じ部活の女子部員たちとも生理のことは話題にしませんでした。恋愛や性の話はたくさんしていたのに、なんで生理のことだけ話さなかったのか、不思議ですね。もし話していれば、どうやって生理をしのいでいるのかお互いの苦労や工夫をシェアできたのになって思います。
高校を卒業してから、どんな道に進みましたか?
高校を卒業して、看護学校に進学しました。地元の佐賀ではなく、あえて縁もゆかりも無い富山の学校を選びました。理由は「人生で行くことがなさそうな場所に行ってみたい」と思ったからです。というのも、高校のボート部時代、全国大会でいろんな都道府県に住む友達ができたのが本当に楽しかったんです。そんな中、まだ北陸地方には友達がいないということに気づき、全国の看護学校の中から富山にある学校を選び、進学しました。実家を出ることへの不安はありませんでした。寮生活ですし、親元から離れて自立したいという気持ちもありました。
看護学校を選んだのは、助産師になりたいという思いがあったからです。小学6年生の時に、小学1年生のお世話係になったのですが、それがとても楽しいと感じたことがきっかけで、子どもに関わる仕事に興味を持つようになりました。その後、助産師になりたいという思いがじょじょに固まっていきました。助産師になるために必要なことを調べていく中で、まず看護師の資格が必要だと知り、看護学校に進学したんです。
実は、助産師を目指す以前の将来の夢は看護師でした。医療従事者の親族が多く、仕事の話をよく聞いていて、自然と憧れを抱くようになりました。幼稚園の卒園文集に「看護師さんになる」と書いたほどです。小学校でのタイムカプセルにも「人を助けたい」と書いていて、それを両親に肯定してもらえたことも、すごく嬉しい記憶として残っています。
看護学校時代は、どんな生活でしたか?
看護学校の3年間は本当に楽しかったです。現役医師が授業に来て、実際の医療現場で起きていることをリアルに話してもらい、そこから学ぶ機会も多く、目から鱗なことばかりでした。美容や医療に関する都市伝説や噂も、医学的根拠のある話を聞いて、真偽の程がわかるようになるなど、人体のことを知ることがとても楽しかったんです。
そんな中、私の身体のことで言うと、初めておりものの臭いが気になるようになりました。「今まで無臭だったのに、臭うのは病気なんじゃないか」と不安になって、婦人科を受診しました。検査をしても異常はなく、「おりものは完全に無臭じゃないよ」と医師に言われ、自分が気にしすぎていたことを初めて知りました。この頃、助産師になるには、看護学校のクラスでいつも1位を取るくらいの成績が必要だと先生におどかされていたこともあり、早朝から夜中まで勉強する日々だったため、生活リズムがめちゃくちゃで、それが身体に影響していたのかもしれません。
看護学校を卒業してから、助産師学校にはどう進みましたか?
看護師の国家資格を無事に取り、地元の佐賀で助産師の学校に通いました。
助産師学校は、看護学校とは比べ物にならないほど大変でした。助産師学校は、どうすればいいのか答えが明確じゃないことも多く、教科書や授業でわかりやすく学べることが限られていました。「Aさん、30歳、初めての出産、子宮口開大3㎝」というような架空の人物像をもとに「あなたは何をしますか」と考えさせるディスカッション形式の授業も多く、既に看護師としての実務経験を積んでいる同級生も多い中で、私は実践の経験がないのでなかなか発言ができず、悔しい思いもしました。実習として10例、お産を経験する必要があるのですが、いつ生まれるか分からないので、夜中に呼び出されることも多々あり、なかなか大変な学生時代でした。
それでも、実際の出産に立ち会うたびに、その場に幸せがあふれていて、「子どもが生まれた時ってこんな幸せな気持ちになるんだ」と実習のたびに思いました。出産したお母さんだけでなく、旦那さんが涙を浮かべながら笑顔になっている姿を見て、「本当に出産ってすごいな」と感じました。生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしてミルクを飲ませている時には、毎回心の底から「この子に幸せになってもらいたい」という気持ちになりました。そんな瞬間を何度も味わわせてもらったことで、「絶対に助産師になりたい」という気持ちが揺るぎないものになっていきました。
助産師として働き始めて、どんな経験をしましたか?
就職先は、年間約1,000人以上の赤ちゃんが生まれる首都圏の総合医療センターでした。常に3〜4人の出産が同時進行しているような状況で、それをほぼ一人で担当しなくてはならないことも多く、とにかく忙しかったです。出産は、予測できないことがいつ何時起こってもおかしくありません。その中で、ひとりひとり丁寧に診ることができない状況は、とても不安でしたし、危険を感じました。慢性的な人不足で、全員忙しく余裕がないので、先輩に質問をすることもできない環境に恐怖を感じ、1年足らずで退職を選びました。
次に選んだのは、月に約20人分娩する小規模の病院でした。とてもよい環境で、1人1人の出産に最初から最後まで丁寧に関わることができました。わからないことは何でも先輩に聞けるし、担当した分娩の振り返りも毎回ちゃんと行える素晴らしい環境でした。順調で幸せな助産師としての時期がしばらく続いたのですが、あるとき病院が経営方針を変え、働く助産師の人数は据え置きで、分娩件数だけを増やすようにシフトしました。休みの日でも夜6時以降はいつ呼び出されるかわからないオンコール対応が続くようになり、業務量も増えた上に、常に臨戦態勢で、気が休まる暇がなくなりました。
働き始めてから、身体に変化はありましたか?
昼夜の感覚がなくなるほど働くようになり、だんだんと体調に異常が出るようになりました。頭痛が止まらなくなり、不眠になりました。お酒を飲まないと眠れなくなり、お酒の量はどんどん増えて、角瓶ウイスキーを2日で1本空けるような飲み方をしてようやく気絶するように眠りに落ちる状態でした。
心身ともに大変な状況で、生理に変化はありましたか?
はい、この頃から生理痛が出るようになりました。子宮のあたりがジンジンするような収縮痛です。さらに、気にしていたおりものの臭いがますます強くなりました。仕事中、出産が迫る妊婦さんをすぐ近くで支えたり、密着してマッサージする機会も多いのですが、「臭いと思われてないかな?」と、大きな悩みになりました。受診しても体には何の問題もなく、やはり過労やストレスなどでも臭いと感じるようになるんだなと思いました。当時はフェムテック市場もなく、デリケートゾーンケアも、専用ソープで洗うくらいしか対処法がなく、ただただ悩むばかりでした。
出産にたくさん向き合うと、死産に立ち会うこともどうしてもあるのですが、本当に悲しいことですし、何が起きるかわからないなかで集中して向き合い続けるプレッシャーは凄まじく、「人の生死に関わらない場所で働きたい」という気持ちがじょじょに湧いてきました。
そんな身体の状況に加えて、あるとき先輩が起こしたミスを私に押し付けられてしまい、事実確認もされないまま、師長と医者に責められたことがありました。助産師の仕事に誇りを持って真剣に向き合っていたからこそ、過酷な夜勤やお酒に頼るほどの不眠、ギリギリまで頑張って張り詰めていた糸が、その理不尽な出来事をきっかけにプツンと切れてしまいました。「もう、ここには居たくない」と思い、退職を決意しました。
そして、出産だけでなく、子どもの成長をもっと学びたいと思い、看護師として保育園に転職しました。
病院から保育園への転職、環境が大きく変化したと思うのですが、どうでしたか?
私が勤務した保育園は、0歳から6歳までの子ども合計100人くらいが通う、比較的大きな園でした。
看護師は園に1人だけという配置で、0歳児クラスに入りながら、何かあれば医務室で子どもと過ごしたり、お迎えに来るまで付き添ったりする役割でした。子どもって本当に予想もつかない行動をするもので、歯磨き粉を耳に入れてみたり、鼻に何かを詰めてみたり。そんな子たちを見守りながらケアする毎日でしたが、手がかかる子ほど愛おしくて、『今日はどんなハプニングが起こるんだろう』とワクワクしながら過ごしていました(笑)
助産師として働いていたときは、座って仕事をすることがまったくない生活でした。朝は髪をきっちり結んでメイクをして気合を入れないと現場に立てなかったし、出勤前にカルテを確認したり薬の準備をしたりと、常に臨戦態勢。それが保育園に移ったとたん、「座った状態で仕事をする時間がある」という状況で、時間にもゆとりがあって穏やかな環境に心底驚きました。
病院での出産という「点」のケアだけでなく、子どもたちが日々成長していく「面」の関わりを経験できたことは、私にとって大きな学びでした。ただ、保育園で子どもたちや保護者の方と深く関わるうちに、「もっと地域の中で、お母さんたちの退院直後のリアルな悩みから子育てまでをトータルに支える、助産師としての本来の役割を全うしたい」という思いが新しく湧いてきたんです。
市役所への転職で、どんな仕事をしていました?
助産師としてのキャリアをこのまま終わらせたくないという気持ちから、市役所の助産師枠の求人に応募しました。新しく立ち上がったばかりの子育て支援センターで、助産師と保健師合わせて5人のチームの一員として働くことになりました。
業務内容は多岐にわたり、妊娠期から、出産後の「乳児家庭全戸訪問事業」による地域支援までトータルに携わりました。
訪問先では赤ちゃんの身体発育や授乳状況の確認、予防接種スケジュールの説明や乳幼児健診の案内など、お母さんたちの孤独な育児に寄り添う相談援助を行っていました。さらに、保健師と連携して地域の保育園を巡回し、園児の健康管理や発達相談にのるなど、まさに妊娠期から未就学児の育児までを網羅する、地域密着の多角的な職務内容です。
ここで一番大変だったのは、まだ十分な信頼関係が築けていないお母さんに対して、言葉や発育の遅れ、あるいは療育の必要性を提案する場面でした。親御さんにとって我が子の発達に関する指摘は非常にショックが大きく、すぐには受け入れられないケースも少なくありません。傷つけずに、でも必要な支援へ繋げるためにはどうすれば伝わるのか、電話口での言葉選びには毎回激しく頭を悩ませました。
相手の心に踏み込むセンシティブな対応だからこそ、シーンと静まり返ったオープンな市役所のフロアで電話をかける環境も含め、精神的なプレッシャーは想像以上です。コロナ禍では、隣の健康づくり課の窓口に毎日ワクチンのことで市民の方が怒鳴り込んでくるような、独特の緊迫感も重なって、行政という場で母子保健を担うことの責任の重さと大変さを痛感していました。
この頃の生理に変化はありましたか?
生理痛を抱えながら、ノンストップで対応に追われる市役所の業務をこなすのは大変で、生理そのものを止めてしまいたいと思うようになっていました。ピルは副作用が気になって使いたくなかったので、子宮内膜を育てず出血も起こさない薬を処方してもらい、約2年間、生理を止めたんです。
ただ、本来あるべきホルモンの波に逆らって無理に出血を止めていたため、激しい頭痛やだるさが続きました。自分では気づいていなかったのですが、母から「その薬を飲んでいるからそうやって具合が悪いんじゃない?一度辞めてみたら?」と言われてハッとしたんです。
内服はすぐに辞めました。あの辛さはまるで更年期を先取りしたかのような状態だったんだなと、身をもって理解できました。女性の身体はやっぱりホルモンと切っても切り離せないもので、毎月ちゃんと生理が来て、それをしっかり外に出してあげるサイクルを繰り返すことが、どれだけ大事なことか痛感した経験です。
そこから今に至るまで、どんな道を歩みましたか?
SNSで発信活動もするようになりました。いろいろ初めてのことが多くうまくいかないこともありましたが、友人が代表をしているSNSスクールに「信頼できる友人の元だったらいいかも」と思い切ってそこで学び、それまで培ってきた助産師としての知識と経験を活かして発信して、現在に至るまで続けています。
今の生理はどんな状態ですか?
今は生理痛がほとんどなくなりました。
月経カップに出会ってからは、漏れの心配もなくなりました。月経カップを使い始めたのは1年ほど前です。存在自体は早くから知っていたのですが、実際に使い始めるまでに8年ほどかかりました。使ってみたら「何これ!」というくらい快適で、なんでそれまで避けていたんだろうと後悔しています。中学や高校の頃の自分に、本当に教えてあげたいと思うくらいです。murmoマーモの月経カップは、初心者向けに作られているだけあって、本当にスムーズに装着できて感動しました。
月経カップの発信をしていると、「私はナプキンで十分です」という声をいただくこともあります。もちろん、ナプキンが合う方はそれで良いと思います。ただ、私が本当に届けたいのは、「ナプキンしか選択肢がなくて、漏れや匂いのストレスに昔の私のように耐えて、我慢することが当たり前になってしまっている人」なんです。生理の過ごし方には、もっと自由で快適な選択肢があるということを知ってほしい。だからこそ、今まさに生理で本当に悩んでいる人にこの快適さが届くまで、私は諦めずに発信を続けていきたいと思っています。
生理をふりかえって、いま何を思いますか?
中学・高校時代は、間違った性や生理の知識に振り回されて不安になったり、体に合わない方法で無理をしたこともありました。もっと早く、正しい情報にたどり着けていたらと思うことがたくさんあります。だからこそ今は、医学的な根拠に基づいた情報を、信頼して届けられる存在でありたいという気持ちを持って発信を続けています。適切な時期に適切な情報があれば救われる人がいる、という思いだけで、これからも活動を続けていきたいです。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、感じ方には個人差があります。気になる症状などがある際はご自身で医療機関にご相談ください。