わたしの生理 Vol.055 - 白いユニフォームで戦った フェンシングと生理 「ただ耐える」が当たり前だった
Nao 33歳 アクセサリーブランドオーナー
初経:中学1年生(12歳)
現在の平均生理日数:5日
現在の平均生理周期:28日くらい
生理はどんなものですか?
憂鬱なこと
生理と聞いて浮かぶイメージは?
ネガティブなイメージ
はじめての生理はいつでしたか?どんなはじまりでしたか?
初経が来たのは、中学1年生の夏休みです。友達の家で遊んでいるときでした。パンツが濡れている感触に気づいてトイレに行ったら、血が出ていました。友達に「生理が来たと思う」と伝えて、急いで帰りました。
帰宅したときに母は家にいなかったので、とりあえずトイレットペーパーを重ねたか、母のナプキンを使って凌いだと思います。中1ともなると、すでに生理が来ている子は多かったし、母から早い子は小学生で初経が来ることも聞いていたので、そこまで驚きはなかったです。
母に伝えた時のリアクションは、「あぁ、来たんだね」くらいのさらっとした感じで、御赤飯のようなお祝いもなかったと思います。母自身が生理にネガティブなイメージを持っていたので、思春期の娘が大げさに生理をお祝いされるのは嫌だろうと配慮してくれていたのだと思います。その気遣いはありがたかったです。
家族構成は、兄、私、妹と両親の5人家族。子どもの中で最初に生理が来たのは長女の私だったので、母もどう対応するのがいいのか、模索してくれたんだと思います。
中学時代の生理は、どんなものでしたか?
この頃の生理の記憶は、あまりありません。生理痛もほとんどなかったし、量もそこまで多い方ではなかったです。生理がつらい子に比べたら私は軽い方だったので「耐えられるもの」という感覚で、やり過ごしていました。
ただ、スポーツのときの生理は、邪魔なものでした。私は、小学生から大学生までフェンシングをやっていて、小・中学生のときは地域のクラブで習っていました。
フェンシングは、生理との相性がとくに悪いスポーツだと思います。ユニフォームはピタッとした全身白いものと決められていて、両足を大きく開く動作が多いため、漏れたらすごく目立つんです。当時のコーチは全員男性だったので、生理の話はできませんでした。でも、マネージャー的な役割でコーチのお母さんがいたので、かなりお腹が痛いときはその人にこっそり伝えて少し休ませてもらうことはしていました。
フェンシングには真剣に取り組んでいました。日々練習があるので当たり前に生理が被るわけですが、生理が重いときは「休んだほうがいいのかな、でも休むことは良くないし...」と、どう付き合っていけばいいか、ひとりで悩んでいました。正解がわからず、相談もできず、ただやり過ごすという感じでした。
中学を卒業後はどんな道に進みましたか?
フェンシングのスポーツ推薦で高校に進学しました。これまで所属してきたクラブチームから学校の部活動になりました。
高校時代は、授業、部活、バイトで忙しい毎日でした。インターハイや国体を目指して本気でフェンシングをやっていましたが、全国大会に出る人たちでバイトをしている人は少なかったと思います。でも、フェンシングはお金がかかるスポーツで、道具を全部自分で揃えなければならなかったから、バイトせざるを得なかったんです。小学生でフェンシングを始めたときは、親も私もそんなにお金がかかるスポーツだと知らなかったので、必死でした。部活が終わってから1時間半だけマックでバイトして、ヘトヘトになって帰る日が続きました。
高校生になって、身体や生理に変化はありましたか?
私が所属したフェンシング部は、顧問も生徒もほぼ男性、女性は私と後輩ひとりという環境でした。
だから、生理のことは、部の中では理解してもらえないと思っていました。生理がない男性の中で、自分にも「生理は存在しないもの」としてやっていく感覚です。当時はPMSという言葉も知らなかったけれど、生理前や生理中になると気分の波が激しくなり、とても辛かったです。どうしようもない不安や落ち込み、些細なことでのイライラなど、感情のコントロールが効かなくなることもありました。対処法もわからないし、自分の中だけで抑えきれないので、男子部員からは「扱いづらい」と思われていたと思います。
そしてこの頃の身体の変化がもうひとつあります。一気に太ったんです。チョコレートや甘いものをよく食べていたのと、成長期の体の変化も重なって、ぐんと体重が増えました。運動量はものすごく多かったので、筋肉量も多いけれど、体脂肪も30%近くあって、「よくそんなに動けるね」と周りからは不思議がられていました。
高校時代の生理で印象に残っていることはありますか?
はい、高校3年の夏に念願叶って出場したインターハイに、生理が被ったときのことです。沖縄まで遠征したのですが、運悪くちょうどそのタイミングで生理が来てしまいました。
他校の同期と同じ部屋に泊まっていたのですが、朝起きたら、布団に経血が漏れてしまったのは、すごく恥ずかしい記憶として残っています。さらに、試合中にも白いユニフォームに漏れてしまいました。生理が被ってしまったことでコンディションも悪く、納得のいく結果を出せず、本当に悔しかったです。
インターハイは、スポーツ推薦での大学進学を決めるという意味でも大切な試合でした。運悪く、強豪選手との対戦が決まってしまい「ここで負けたら志望校に入れない」というプレッシャーや不安という精神的な負担に加えて、ナプキンの膨らみや経血の気持ち悪さ、体の重さといった物理的な負担が重なり、最悪のコンディションでした。
当時の私にもっと身体や生理の知識があれば、もっと上手に対処できたのにと、今ふりかえっても悔しいです。当時は生理がコントロールできるものという発想自体ありませんでした。母親もスポーツをやってこなかった人で、知識や経験がある人が周りにいませんでした。監督も男性で、「ピルで周期をずらすこともできることはわかっていながらも、高校生の女子生徒に、男性の監督がそこまで踏み込んでいいものかと悩んで、何もアクションできなかった」と、後になって話してくれました。今でこそ、アスリートがピルで生理をコントロールしてパフォーマンスに生理が悪影響を及ぼさないようにすることが浸透してきましたが、当時はまだまだ少数でした。
そんな苦い夏のインターハイを経て、秋には地元開催の国体がありました。中学生のときからずっと県の強化選手としてこの大会に出たいと思っていたので、選ばれたことは嬉しかったです。このときは県全体で戦うことから監督の他に女性のコーチもいて「生理や体調のことも何かあればすぐ伝えて」と、フォローしてくれて、とても心強かったです。結果的に試合に生理が重なることもなく、いい結果を残すことができました。インターハイとの違いを感じながら、「相談できる環境があるかどうかで大きく変わるんだな」と実感しました。
インターハイの結果が振るわなかったことで、狙っていた第一志望の大学には行けなかったのですが、別の大学から声をかけてもらい、フェンシングのスポーツ推薦で首都圏の大学に進学が決まりました。
小学生から大学生までフェンシングを続けたとのことですが、どうして続けていたんですか?どんな魅力がありましたか?
フェンシングをなぜ続けてこられたかと聞かれると、正直、すごく好きだからというよりは「続けることがいいことだ」という刷り込みと凝り性という性格もあったのかなと思います。私は、何か一つのことを始めたらやめられないタイプです。でも続けていくうちにやりがいをちゃんと感じていたし、フェンシングには達成感がすごくありました。大切な指導者との出会いやかけがえのない仲間にも囲まれて、気がついたら学生の期間はフェンシング一筋でした。
どんな大学生活を送りましたか?
大学では文学部に進学しました。国語の先生になりたいと思って選んだんです。そもそもフェンシングの指導者になりたいというのが一番の動機です。当時はフェンシングの指導者といえば、学校の先生が部活の顧問として教えるのが主流でした。私も学校の先生になってフェンシングの指導者になりたいと考えたんです。
大学は実家から片道2時間の距離でした。全寮制だったのですが「通学でもいいから」と監督に言ってもらい、往復4時間かけて通いました。部活もバイトも続けて、更にハードな生活でした。
その後、教育実習に行って、教職を取得しました。母校での教育実習は、フェンシングを教えてくれた先生が国語の先生でもあったので、その先生が担当となりました。その先生はオリンピックの出場経験もある方で、あらゆることにストイックで、優しくもとても厳しい指導でした。様々なプレッシャーやストレスで他の先生に泣きついたりして、そのときはとても大変でしたが、今振り返ってみればそれすらも楽しかった思い出です。でも同時に教師は真面目な人がやるべき職種だと感じて、自分には向いていないと思うようになりました。というのも、当時の私はパリピ生活全開で、部活とバイトとクラブという3つを全力で行き来する生活でした。結果的に、教員免許は取ったけれど、卒業後は別の道を選ぶことにしました。
大学時代の生理で覚えていることはありますか?
この頃のことで、すごく恥ずかしかった思い出があります。白いスカートで出かけた日に、隠せないくらい経血が漏れてしまったんです。男性の先輩と練習後2人でご飯を食べているときだったのですが、隠し通せる状態ではなかったので、恥ずかしながら生理が漏れてしまったことを伝えました。その先輩はとてもいい人で、腰からお尻にかけて上から巻いて見えないようにして帰れるように、服を貸してくれました。インターハイの宿舎で漏らしたことと、このときの出来事が、私の2大生理失敗エピソードです。
一方で、経血の量や生理周期などは、高校生から特に変化はありませんでした。通学の移動時間が長くなり、こまめに取り替えに行く余裕がなくて漏れることが増えたりしたくらいでしょうか。今思えば、漏れないように工夫することも自分次第でできたと思うんですが、まったく考えなかったですね。
大学を卒業して、どんな道を選びましたか?
全国区の民間企業に新卒として就職しました。ガッツを評価してもらえる体育会系の会社で、山の中で行軍させられたり大声を出したりするような、今だったら完全にブラックな研修もありましたが、そういう環境はむしろ得意でした。新入社員の代表挨拶をやらせてもらったり、実務でもすぐ結果を出すことができて評価されたので、最初はすごく楽しかったです。
ただ、数ヶ月ごとの転勤で、ホテル暮らしになりました。各地を転々とするうちに、だんだん家に帰りたい、帰る家が欲しいと思うようになりました。ホテル生活は落ち着かないんですよね。そんな矢先、出会い系サイトで今の夫と出会いました。意気投合して、すぐ付き合うようになったのですが、早々にプロポーズをしてくれたんです。私自身、大学時代に遊び尽くしたこともあって、もう結婚して落ち着きたいという気持ちもあり、23歳でスピード結婚しました。
夫と私、両方とも全国転勤がある仕事だったのですが、次の転勤が見えたタイミングで、私が転職することにしました。新卒から1年半勤めた頃です。次の仕事は、学童の先生でした。教員免許が役に立ち、子どもとの距離感もちょうどよくて、すごく楽しく仕事をすることができましたし、それまでのブラックな環境に限界を感じていたので、ホワイトな環境になって、自分の時間ができたこともよかったです。
身体の変化としては、就職後痩せました。理由はヨガです。仕事の後や休みの日に、ヨガに通い始めたら、体がみるみる変わっていきました。部活中はどれだけ走り込んでも落ちなかった体重が、仕事後に通うヨガで10kgほど落ちていきました。あの頃の体の変化は今でも不思議なくらいです。
その次の変化は、妊娠と出産です。25歳で第一子を出産しました。
第一子の妊娠・出産を経て、生理や体はどう変わりましたか?
結婚から1年ちょっと経った頃に、妊娠しました。妊娠中のトラブルもなく、元気に過ごしていましたが、出産だけは2週間ほど遅れて、帝王切開になりました。
生理が再開したのは、産後1年経った後だと思います。再開後最初の生理がきたとき、吐いてしまいました。つわりでは一度も吐かなかったのに、生理の前触れで急に気持ち悪くなって、「妊娠したのかな」と思うくらいの吐き気で、想像していなかった体の反応でした。ただそれ以降の生理は、おりものと経血量どちらも減り、リセットされた感覚で、楽になりました。
子どもが生まれて生活の変化はありましたか?
出産直後に夫の福岡転勤が決まっていたので、勤めていた学童を辞めて、福岡へ移住しました。第一子が生まれたばかりの3人家族で新天地での生活です。知らない土地での初めての子育てで、最初は不安でした。
でも夫のおかげで、福岡の生活はとても楽しいものになりました。というのも夫は、私が子育てをしやすいように、そして孤独にならないことを優先して、住む場所を選んでくれました。事前に福岡の地域を細かく調べて、子育て支援が手厚い市を選んでくれたんです。夫の勤務地はあまり治安のよいエリアじゃなかったこともあり、選んだ場所は、夫の職場から車で1時間ほどのエリアでした。さらに夫は、ママが集うコミュニティセンターの場所を調べ、地図に蛍光ペンで印をつけて渡してくれたんです。そのおかげで、私はコミュニティセンターに足繁く通って、気が合いそうな人にどんどん声をかけて、友達を作ることができました。福岡で友達がたくさんできて、本当に充実した生活でした。
この頃、産前から地道に準備していたアクセサリーブランドのオンラインストアをオープンして、福岡でのマルシェにも出るようになりました。当時、福岡は地域のハンドメイドマルシェがとても盛んでした。参加するようになって、そこでの輪が広がっていったし、友達を誘って自分でイベントを企画したりもして、今に繋がる活動が始まった時期でした。
それからしばらくして、第二子の妊娠・出産、そして福岡から首都圏への移住という大きな転機が訪れます。
第二子の妊娠・出産は、第一子のときとちがいましたか?
はい、妊娠中の状態がまったく違いました。というのも、妊娠糖尿病になってしまったんです。甘いものはもちろん、白米もほとんど食べられない食事制限が何か月も続きました。こんにゃくご飯や豆腐麺で過ごす毎日で「普通のご飯が食べたい...」と切実に思っていました。出産はコロナ禍かつ、私は第一子を帝王切開していたので、予定帝王切開となりました。妊娠糖尿病は、医師に言われていた通り、出産したらころっと治りました。
第二子を妊娠する少し前に、夫の転勤が決まりました。行き先は首都圏で、転居してからすぐ出産しました。産後は勝手にどんどん痩せていって、近所の人に心配されるくらいガリガリになりました。授乳と2人の育児で身体が消耗していたのだと思います。
転居してからが、私にとってはとてもしんどい時期でした。福岡では近くに友達がたくさんいて、夫が仕事でいない間もコミュニティが頼りになったけれど、首都圏に戻ったら、またゼロからのスタートでした。同じようにコミュニティセンターに行くことも考えましたが、福岡みたいに近くになく、息抜きできる場所を見つけられませんでした。
またマルシェに出たいと思ったけれど、SNSを開くと、いろんな人がキラキラと活躍している投稿が目に入り、自分のアクセサリーブランドに向き合える時間が少ないことへの引け目も感じて「こんなに長くやってるのに私は大成できないんだ」と落ち込む日もありました。
夫は出張も多く不在になることもあったため、ワンオペで子ども2人と過ごす時間が長いことが、とてもしんどかったです。「逃げたくても逃げられない」という感覚から、当時は正直「死にたい」という気持ちが浮かんでくるようになってしまいました。これはまずいと思い、精神科にかかりました。先生からヨガや運動を勧められたのですが、「子どもを預けられないからこうなってるのに...」と残念な気持ちになり、病院に通うことを辞めてしまいました。
そんな状況でしたが、転機は突然訪れました。下の子が幼稚園に入ったら、みるみる元気を取り戻すことができました。物理的に自分のために使える時間ができたことが、とても大切だったんだと思います。
30代になって今に至るまで、生活や生理はどうですか?
下の子が幼稚園に入園してから、自由に使える時間が増えたことで、ずっとやってきたアクセサリーブランドをもっと本格始動させようと開業届を出したのもこのタイミングです。マルシェへの出店も再開し、繋がりがどんどん広がっていきました。また、最近は自分でイベントの主催もするようになりました。アクセサリーを黙々と一人で作る楽しさとはまた別の「みんなで盛り上がるお祭り」みたいな楽しさをイベントに感じています。人をつなげたり、みんなで場をつくることが私はとても好きで得意なことなんだと、改めて気づきました。
体のことで言うと、30代になってから、仕事のプレッシャーを感じたり、スケジュールを詰め込みすぎると、生理が遅れたり、生理が来てもなかなか終わらなかったり、茶褐色のおりものが長く続いたりと異変が起きるようになりました。生活はとても充実していて楽しいのに、キャパオーバーだと体が正直に反応しているのだと思います。
産婦人科には妊娠・出産の時以外は行ったことがありません。婦人科に限らず、病院はあまり気持ちが前向きになる場所ではないので、よほどのことがない限り行きたいとは思えないんです。友だちに最近の生理の状況を話したら、婦人科に行くことを勧められたのですが、まだ踏み出せていません。ちょうどこれからアクションを起こしていきたいと思っています。
生理をふりかえって、いま何を思いますか?
こうしてふりかえってみると、私は長い間、自分の身体をないがしろにしてきたと思います。
つらくても、どうにか乗り越えられたので、見て見ぬふりをしてきました。知識をアップデートしようという発想も持たなかったです。今は、もっと改善の余地があると思うし、生理もあと10年は続くものだから、これからの10年をどう過ごすかを考えて動いていきたいと思っています。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、感じ方には個人差があります。気になる症状などがある際はご自身で医療機関にご相談ください。