わたしの生理 Vol.054 - 「女やめたい」つらい生理 ヨガが自分との向き合い方を変えた 今は、生理があってよかったと思う
中台葉月 36歳 ヨガ講師
初経:中学1年生(13歳)
現在の平均生理日数:約7日
現在の平均生理周期:28〜30日
生理はどんなものですか?
前は来るのが怖い、苦痛でしかなかったもの。
今は、自分の身体を知るツール、身体のバロメーター。
生理と聞いて浮かぶイメージは?
女性
はじめての生理はいつでしたか?どんなはじまりでしたか?
初経が来たのは、中学1年生の13歳、体育祭の練習があった9月でした。どこでどう気づいたのかは覚えていません。最初に伝えたのは、お母さんでした。
当時、私が通っていた学校は、小学校、中学校ともに、人数が少なくて、話が広まりやすい環境でした。女の子同士の会話では、コソコソ話の中で、誰に生理がきてきてないかを話していたような中、私に初経がきたときには、半数の子がすでに生理を迎えていました。だから、「自分にも来たんだな」というくらいで、戸惑いつつも、驚きはあまりなく、母からは「もうそろそろじゃない?」と話をされていたので、生理が来たことを伝えると「あ、来たね」くらいのさらっとした、だけど喜びもあるようなリアクションでした。
困ったのは、その後の周りの大人の反応でした。「お赤飯は出さないで」と言ったのに、母から祖母や親戚へと話が伝わって、親戚の集まりでお赤飯がテーブルに並んで、みんなに初経のお祝いをされて、嫌でした。帰りに「何でみんなに言ったの?」と、母に抗議したけれど、母から返ってきたのは「お祝いなのよ」という一言で、当時は理解ができなかったことを覚えています。
嫌だと思った気持ちの理由は、何だったと思いますか?
今振り返ってみると、それまで子どもだったのに、初経が来た途端、急に大人扱いをされることに気持ち悪さを感じたからだと思います。親戚付き合いの多い、仲のいい一家だったので、みんな悪気なく、私の成長を喜んでお祝いをしてくれたということは、今は理解できますし、親戚の子ども達の中で、女子では私が最も年長だったので、なおさらだったと思います。
このときと同じ気持ち悪さを感じる出来事が、初経以前にもあって、そのこともよく覚えています。2歳上の従兄弟が声変わりをしたときの出来事です。私の初経のときのように、従兄弟の声変わりを親戚の大人たちが大喜びしたのですが、その従兄弟は、それまでおしゃべりだったのに、人が変わったみたいに、それから口数が減って、寡黙な人になってしまったんです。その気持ちが、初経を通してわかった気がしました。従兄弟は子どもから男性になって、私は子どもから女性になり、他人からの見られ方が変わったんじゃないかと感じて、すごく嫌でした。
その後の中学時代の生理は、どんなものでしたか?
あまり印象にないので、まだ大変なことはなかったのだと思います。中学ではバドミントン部に入っていましたが、生理痛もあまりなく、部活や学校生活でとくに困った記憶はありません。ちゃんと定期的に来ていたし、量もそこまで多くなく、痛みもそんなにありませんでした。
生理痛が少し重くなってきたと感じたのは、中学3年生で部活が終わり、受験勉強をがっつりするようになってからです。とはいえ、ちょっと重くなり始めたのかな、という感覚で、特別対処が必要なこともありませんでした。
もうひとつ、生理のことで覚えているのは、生理の呼び方ですね。小学生のときにいち早く生理になった子が、生理を「ツッキー」というあだ名で呼びはじめて、私たちの共通言語でした。「月のもの」という言葉が恥ずかしくて言えないから、もっとあだ名っぽくしたんです。学生の数が少ない分、女の子同士で親密に話せる環境がありました。
中学を卒業後、どんな道に進みましたか?
高校は商業高校の情報システム科に進みました。祖母がしていた洋裁の仕事に憧れて、裁縫などを学べる家政科を目指していたのですが、入試で落ちてしまいました。自信をなくして普通科を考えていたところ、親に「普通科に行くよりも、手に職をつけられるところに行った方がいい」と言われて選んだんです。「これから情報社会になるから」と言われて選びましたが、まだ家にパソコンが1台もない状態で、あまり興味もなかったんですけど、情報システム科に飛び込むことになりました。
関わってみても、PCのシステムにはあまり興味を持ちませんでしたが、簿記の授業がすごく楽しくて、数字を見るのが好きになったし、社会人になってからも役に立ちました。
部活はバトントワラー部に入りました。とはいえ、ゆるい部活だったので、生理で困ることはとくにありませんでした。むしろ、私生活では、バトントワラー部に入ったことで、勉強をがんばるようになりました。
元々、勉強が好きだったんですか?
まったくそんなことないんです。元々小学生のときは、勉強も運動も苦手でした。
でも、中学受験のときに勉強に本腰を入れたら、それまでわからなかったことがわかるようになる楽しさを実感したり、学びを深めることにより、未来の選択肢が増えることに気づいて、それからは、勉強への苦手意識が減っていったと思います。
高校で勉強を頑張れたのも、学校の中では「バトン部はあまり勉強を得意としない印象」のイメージがあって、それがすごく悔しくて、「部活も勉強も両立してすごい!」と思われたいというのが動機になって、頑張れました。
高校生時代の生理はどうでしたか?
高校生になって大きな変化がありました。量が多くなり、痛みも重くなったんです。市販の鎮痛薬を飲んだり、夜用の大きなナプキンを昼間から使う日もありました。
学校では気軽に言える環境だったので「今日は生理で腰痛いんだよね」と、言いながらやり過ごしていました。
母も生理痛が重かったことから「きっと、遺伝だね」という話をされたこともあり、私も自然とそう受け止めていました。一方、妹には生理痛がほとんどなくて、なんでそんなにつらいのかと不思議がられることもありました。
家族間で生理の話をすることに抵抗はありませんでしたが、父は例外でした。弟には話せるけれど、お父さんに生理に触れられることや話題に上ることが何となく嫌でした。
高校を経て、その後、どんな道に進みましたか?
高校を卒業して、大学に進学、商学部でマーケティングを専攻しました。高校で学んだ簿記を活かしながら、人の購買心理や商品開発への興味から選んだ学科です。実家から、片道2時間半のところにある大学に通いました。
といっても、さすがに遠くて、1、2年生のうちはほとんど家に帰らず、友達の家に滞在する日々でした。その2年間で、バイトもしながら、授業を詰め込んで、取れる限りのすべての単位を取りました。
大学生で、友だちとずっと一緒にいたら遊んでしまいそうですが、自発的に頑張れたのはなにか理由がありましたか?
そうですね。そこまで裕福な家庭ではなかった中で、親がお金を出してくれたので、絶対にやらなきゃという気持ちがありました。そもそも大学進学も、私の意志で決まったことで、親は親戚から反対されたけれど「子どものやりたいことをやらせてあげたい」と、その反対を押し切って、応援して大学に送り出してくれました。だから、ここで単位を落とすわけにはいかないと、頑張ることができたんだと思います。
大学時代の生理や生活に変化はありましたか?
生理の状態は高校から引き続き、重いまま、とくに大きな変化はありませんでした。
授業以外では、サークルに入りました。野球サークルのマネージャーです。一番仲の良かった友達も、生理痛が重く、なぜか生理周期も一緒で、同じタイミングでつらいので「私たち今日生理だから、サークル休むよ〜」って、男子にも普通に言っていました。
その後、大学3年からは就職活動です。これは本当に苦労しました。200社くらい受けたと思います。最初は、会計を学んできて数字が好きだったこと、人と接することが好きだったこと、さらに地域に根ざしたことをやりたいという思いから、地方銀行が天職だと思って受けたものの、全滅。それ以外にも、興味のあった美容や化粧品などの業界も受けて、全部ダメ。東日本大震災の翌年という時期も重なり、内定が決まるのは遅い方でした。ブライダル関連の会社から内定をいただいたものの、保留にしていたことで「第一志望じゃないなら」と取り消しになったこともありました。やりたいことがわからないということが1番苦しかったです。最終的に、サークルの先輩の紹介を経て、企業の経理職に就くことができました。今振り返っても、就活は二度とやりたくないと思うくらい、当時は心が折れました。
社会人になって、生理はどう変わりましたか?
新卒の社会人として働き始めてから、生理がさらに重くなりました。大きな血の塊が出るようになって、貧血も起きるようになりました。通勤も片道1.5時間かかるのですが、長時間の満員電車のストレスも加わってか、朝会社の最寄り駅に着いた時には立っていられなくなることが、毎月起きるようになりました。ホームのベンチで少し休んでから会社へ向かったりしていました。上司が男性だったこともあり、生理のことは話せず、とくに決算期の忙しい時期は、顔面蒼白になりながら仕事をこなしていました。
社会人2年目の頃、初めて婦人科に行きました。大学生の時から生理が重いから婦人科に行ってみようかなと思ったことはあったのですが、母にやんわりと「性的なことがまだなかった時期に行くと体がびっくりしちゃうからまだ行かない方がいいかな」と言われていて、行ってなかったんです。ちょうどこのときは、彼氏がいる事も知った上で、母もすんなり「行ったら」と言ってくれました。
診察の結果は、子宮内膜症の診断でした。まず漢方薬を処方され、年単位で飲み続けましたが私にはまったく効果が感じられず、つらいままでした。その次に低用量ピルを処方されましたが、それも体に合いませんでした。先生のことも何となく苦手に感じていたので、その後、婦人科を2〜3か所、転々としました。
別の病院で「実は子宮内膜症と言われて...」と先に話すと、私の言葉を鵜呑みにして、まったく診てもらえないまま、薬だけ出されることもあって、少し不信に感じたこともありました。また別の病院では「子宮内膜症ではないと思う。子宮後屈ぎみで、そう診断されただけかも」と言われたこともあります。また「生理のときに起きる子宮の収縮が腸と擦れやすく、それがちょっとした炎症を起こしているかもね」と言われて、しばらく様子を見ることになりました。
そんな状態だったのですが、いろいろあって、途中で病院に行くのはやめてしまいました。
その後、どんな変化がありましたか?
26歳の頃、父が亡くなり、長く付き合っていた人とも別れて、生理痛のひどさよりも、精神的なつらさの方が、大きくなったからです。そのときは、婦人科に行く気力すらも起きず、「もういいや」と思って、そのときにやっていたことは、一気にやめました。
そして、「私の人生、このままでいいのかな」という気持ちが大きくなってきました。経理の仕事はここまで頑張ってきたし、就活もものすごく頑張ったし、「新卒という切符は一生に一回しか使えないから、簡単に辞めてしまうのはもったいない」と会社の人たちに引き留めてもらったりもして。でも、定年65歳までの長い人生でこのままでいいのかと思って。思い切って、29歳のときに税理士法人に転職しました。簿記の資格もあるし、会計をより深く活かせる場所でやってみたいという気持ちで飛び込みました。
結果的に、1年ほど働いてみても、根っこにある「このままでいいのかな」という感覚は変わりませんでした。ということは、私がやりたいことは経理じゃないんだと思え、何か別のことを見つけたいという気持ちが湧きました。
その後、どんな道に進んだのでしょうか?
税理士法人での1年の勤務を経て、30歳になる年の12月に、ヨガインストラクターへの転身を決めました。7〜8年の会社員生活に区切りを付けて個人事業主になりました。
話が遡るのですが、ヨガに出会ったのは、もっと前、24歳のときです。最初は趣味として始めました。当時付き合っていた人がダンスをしていて、体は動かしたいけど、同じものはやりたくないなと思って、探していたところ「生理痛が軽くなった」「PMSが改善した」「性格が良くなった」というヨガの宣伝が目に止まったんです。当時、PMSで感情のアップダウンがひどかったし、冷え性にも悩んでいたので「ヨガなら良さそう!」と思い始めたんです。
その後、ヨガ講師になるくらいだから、ヨガは葉月さんに合っていたのでしょうか?
最初からよかったわけでもないんです。一番最初は、ホットヨガに通ったのですが、そのスタジオは私には合わなくて、だんだん通わなくなりました。そうしたら、大学時代のバイト先だったジムで出会ったインストラクターの先生から、独立してスタジオを立ち上げたと連絡をもらい、そこで常温のヨガレッスンを初めてちゃんと受けたら、すっごく良かったんです。そこからその先生のレッスンに通うようになりました。
父が亡くなったのも、ちょうどそのスタジオに通い始めてからのことです。メンタルがひどく落ちていた時に、気分転換になればと思ってレッスンに行ったら、思いがけず感情が溢れて涙が止まらなくなったこともありました。そのときに、自分に意識を向けるって、こんなに大事なことなんだな、と思ったんです。これまで、私は私のことをおろそかにしてきたこと、なにかあるごとに、自分自身を否定して、責め続けていたことに気づきました。
人と比べずに、自分に意識を向けること。これまで積み重ねてきた比較癖や、認めてもらいたいという焦りが、ヨガをしながら少しずつほぐれていく感覚がありました。そして、同じように悩んでいる人にこのことを伝えていきたいという気持ちが湧いてきたんです。
レッスンの後、先生に「どうやったら先生みたいになれますか?」と聞きました。そうしたら「私のレッスンしか受けたことないんだから、もっといろんな先生を見てごらん。本当にこの人から習いたいと思える先生に出会えるから」と言われました。そうしたら偶然、その後出会った先生が、私にヨガを教えてくれる先生になりました。
どの段階でも努力を重ねていて、本当にすごいことだと思うのですが、それでも「自信がない」「自分を否定してしまう」といった言葉が何度か出てきました。それは、なぜだと思いますか?
振り返ってみると、ずっと人の目をすごく気にしていたと思います。誰かに認めてもらえないと不安になる心が、根っこにあったのかもしれません。
小さいころは、親戚の中で、みんなにかわいがられて、チヤホヤしてもらっていたんです。でも弟と妹ができたら、当然みんなの目は赤ちゃんの方に向いてしまって、そのときに幼いながらにショックだったんだと思います。
それからは、お姉ちゃんとして振る舞うことで「いい子だね」「しっかりしてるね」とよく言われるようになって、そうやって認めてもらえると安心できた。だからいい子でいないと、みんな離れちゃうんじゃないかって思い始めた。優れている自分でいないとダメだ、と思いつつも、弟は野球、妹はバスケをずっとやっていて、運動神経がよくて活躍していて。それに比べて、私は運動が得意でもなかったし、勉強もそれほどできたわけでもなくて、そこでまた自分を否定する気持ちがふくらんで...
中学に入った頃も、友達からマウントを取られるような言い方をされることもありました。「まだあなたは子どもだよね」みたいな言い方とか。知らず知らずのうちに、自信のなさが出てしまっていたと思うし、自分を周りと比べる癖がついていた気がします。
その無意識の癖に、ヨガを通して自分と向き合う中で初めて気づくことができたんだと思います。
話を戻して、30歳でヨガ講師となってからのお話を聞かせてください
ヨガ講師として活動を始めたのはコロナ禍の真っただ中で、2021年春のことです。最初はオンラインでした。ヨガを教えている人はたくさんいる中で、どんな人にどんなことを届けていきたいか考える中で、「女性に向けて届けたい」という思いと、「女性にしかないもの」として「生理」というテーマにたどり着きました。「生理改善」のヨガなどできたらいいなと思ったのですが、まだ当時は「私自身、生理痛が重いのに、自分が改善していないのに教えられない」という気持ちがあって。しかも駆け出しの身でいきなり「生理」を打ち出したら、変な目で見られるんじゃないかと思っていたんです。
そんな私を動かしたのは、ある先生の言葉でした。「同じことをやっている人がいないなら、むしろそれをやってごらん」「そんなに人って自分が思うほど見てないよ」と言われて、何か固まっていたものがほぐれていきました。
それから骨盤や姿勢を含めたヨガの資格を勉強して、生理痛のメカニズムも学びながら、自分の身体でも試していくようになりました。しばらくして、ふと生理痛が以前より軽くなっていることに気がつきました。残業もなく、ストレスが減って、体をよく動かすようになって、血の巡りが変わってきたのかもしれない。自分の身体の変化を観察することが、だんだん楽しくなっていきました。
私は遺伝だから生理痛が治らないかもしれないと思い込んでいたけれど、そうじゃなかったんだな、と。今は20代の頃よりずっと生理が楽で、PMSの感情の振れ幅も小さくなりました。先月の過ごし方を振り返りながら、今月の状態を読めるようになってきた。自分で自分の身体を客観視できることが、大きな安心になっています。
ヨガ講師として活動をはじめてから、5年経ち、現在はどんな活動をしていますか?
現在は複数のスタジオでレッスンを担当しながら、昨年から千葉でフェムケアのマルシェを主催しています。一般の人が気軽に来られるお祭りのような場で、「自分の生理はもっと楽にできるかもしれない」と、知ってもらうきっかけをつくりたいと思って始めました。マーモさんにも今年のイベントにお声がけしましたが、月経カップや布ナプキン、その他にもマッサージや耳ツボ、身体にやさしいご飯など、いろんな出店者さんをお招きしました。出店だけでなく、青空の元ヨガレッスンを行いました。今は年に1回開催ですが、将来は、同じような思いの人が日本各地でそれぞれやっていけるような形にしていきたいというビジョンも持っています。
30代になってから、生理の変化はありましたか?
先程お話しましたが、30代になってから、ヨガを含めて自分の身体と向き合うことで生理痛がとても軽くなりました。それ以外だと、月経カップですね。以前に別のカップを試したことがあって、硬さと痛みで使うのをやめてしまいました。もう月経カップを使うことはないと思っていたのですが、他社さんが主催するヨガイベントがきっかけで、murmoマーモの月経カップと出会いました。箱から出してさわった時、以前の月経カップで感じたプラスチック感というか、硬い感触がなくて、衝撃を受けました。マーモはシリコンが柔らかくて、実際に試してみたら全然痛くなくてするっと使えました。こんなに月経カップってものによって違うんだと驚きました。今もマーモを使っています。
生理をふりかえって、いま何を思いますか?
まさか自分がマルシェのようなイベントを主催するようになるとは、思ってもいませんでした。ずっと安定した社会人を目指して就職して、与えられた仕事にきちんと取り組んで、それが自分の生き方だと思っていました。20代の自分からしたら、今の私は考えられないところにいると思います。
それは、生理痛やPMSといった、生理のつらさがあったからです。。あのつらさがなかったら、ヨガに出会うこともなかったし、自分と自分以外の誰かの健康をここまで考えることもなかったと思います。思い切って会社を辞めて、「誰かのために自分に何ができるか」を考えるようになれたのも、ヨガとのつながりです。
今となっては、そう思えるけれど、当時はすごく生理が来るのが怖かったし、とても憂鬱で、「女をやめたい」と思ったこともありました。それでも今は、「生理があってよかったな」って素直に思います。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、感じ方には個人差があります。気になる症状などがある際はご自身で医療機関にご相談ください。