わたしの生理 Vol.052 - 女になることが怖かった私が 生理に振り回される日々を越えて 身体の主導権を取り戻すまで
K 43歳 思考するフェムケアオタク
初経:小学5年生(10歳)
現在の平均生理日数:8日
現在の平均生理周期:120日(低用量ピル服用中)
生理と聞いて浮かぶイメージは?
うざい、憂鬱、いつ来るか常にビクビク
生理と聞いて浮かぶイメージは?
強制的に体を休める日
はじめての生理はいつでしたか?どんなはじまりでしたか?
初経は、小学5年生、10歳です。夏休み前の暑くなってきた時期でした。
当時、生理の知識はまったくありませんでした。トイレで、トイレットペーパーに茶色いものが付いて「あれ?」と思ったのが最初です。気のせいだと思ったけれど、トイレに行くたびに茶色いものが付くし、お腹も痛むので、「自分はもう死ぬのかもしれない」と本気で思いました。
この体の異変を「誰にも知られてはならない大変なこと」だと思って、母にも隠しました。下着をこっそり手洗いして、洗濯機に紛れ込ませましたが、すぐに母に気づかれてしまいました。母に知られたときは「終わった...」と思いましたね。今振り返ると、当時の私は家の中が問題のない平和な状態でいられるように、常に気をつけていました。だから、自分の体に起きた異変という問題を、家に持ち込むのが怖かったのだと思います。
母に知られて、それが「生理」というものだと教わりました。病気ではないとわかって、死の恐怖からは解放されましたが、同時に別の絶望を味わいました。「生理は大人になる証拠だよ」と言われたことで、自分が女であることを突きつけられたと感じて絶望したんです。
私は第一子で、5歳下に妹がいます。父は単身赴任で不在がちで、母は体が弱く寝込むことがよくありました。父は家父長制的な考えの強い人で、私は父から、父の不在時に家族を守る長男的な役割を課されて育ちました。幼い頃から家事をしたり、妹の世話をしていました。母が寝込んでいるときには妹の保護者面談にも代わりに行くなど、今思えばヤングケアラーだったと思います。父が母に「誰のおかげで飯が食えているんだ」と言っていたこと、母が私に「子どもがいなければ、私は自由になれたのに」と言ったことなどが、自分の中に影を落としていました。自分の存在がとても邪魔なものだと思っていたと同時に、子どもだった私にとって「女性の象徴である母=弱い立場」を見て、女性とは、とてもみじめで自分の力で生きられない情けない存在だと感じていました。だから、私は自分が「女性になること」に対して前向きなイメージを持てませんでした。見た目も、髪型はショートカットで服装はズボンというボーイッシュなキャラクターにして中性的にしたり、存在する許可を得るためにいろんな人の役に立つのが当たり前で、それが自分を保つ方法でもありました。
そして、生理のような話は人に言うものではないという感覚もありました。思い返すと、小学校2〜3年生の頃、学校のトイレの床に付いた経血を見たことがありました。そのとき私は”オバケ”的な何かだと思って、家に帰って母に話したんです。でも、そのときは特に説明されず流されました。「生理」を知って”オバケ”じゃなかったことが分かったと同時に、ごまかされていたのだと後から理解しました。
中学生の頃、生理はどんなものでしたか?
中学は、地元の共学校に進学しました。生理は、小学生の頃から25日周期です。腹痛、下痢ぎみになる、眠気が増すというような、よくある生理の不調は、当時から自覚していました。
ただ、今振り返ると、一番つらかったのは、PMSやPMDDのようなメンタルの不調だったと思います。小学校高学年の頃からずっと、自己嫌悪が強くて「死にたい」と思っていました。当時はそれが生理と関係しているなんて、まったく思っていませんでした。生理10日前くらいから生理二日目くらいまで、気持ちが大きく沈むのですが、生理周期が短かったので、体感的には「ずっとしんどい」感覚でした。
中学では、最初は囲碁将棋部に入り、その後、演劇部に入りました。部活の発表などで、生理が原因で大きく困った記憶はあまりありません。ただ、12歳から続けていた合気道ではいつも不安がありました。練習のときに袴を履くのですが、脱ぎ履きが大変なので、稽古中にトイレに行きづらいんです。しかも、袴の下は白い道着でした。経血が付く不安で、いつもハラハラしていました。なので、生理中は内側にスパッツを履いて、白い道着までの距離をかせぐ対策をしていました。
中学は制服でスカートを履かないといけなかったことがつらかったですね。この頃も誰とも生理の話をすることはありませんでした。「アイドルはトイレにいかない」のと同じで、自分に生理なんてものは存在しないという感じで生きていたかったんです。
高校生の頃、生理や生活に変化はありましたか?
高校は、服装や髪の色などが自由な校風の学校を選びました。中学よりも自由な学校を選んだことで、服装など見た目の面では少し楽になったけれど、生理に対する嫌悪感や、自分の身体に起きていることを隠したい感覚は、そのまま残っていましたし、PMSやPMDDのような自己嫌悪や落ち込みも、かなりつらかったです。この頃もPMSやPMDDの知識はなかったので、自分の性格のせいだと思っていました。
その後、高校を卒業して、一浪の末、大学に進学しました。
大学生の頃、生理や自分自身への向き合い方に変化はありましたか?
大学では臨床心理学を専攻しました。スクールカウンセラーになりたかったんです。
きっかけは、小学生のときです。先生から、不登校やケアが必要なクラスメイトのお世話係を常に任せられていました。自宅から学校への通学路とは逆方面にある同級生の家に迎えに行き、その子を連れて一緒に学校へ行ったり、欠席のときも様子を見に行ったり。後にその子から「あなたがいたから、学校が楽しかった」という趣旨のことを言ってもらったんです。そのときに、自分は存在していいと言われたようでした。
というのも、私は機能不全家族で育ち、母の足枷になっている自分はいない方が良いと思っていました。だから、存在する許可を得るには、他者を喜ばせたり、笑わせたり、役に立つなど、贖罪をし続けなければいけないと感じていたんです。
でも、それは本来子どもが担う必要のないこと。だからこそ、苦しい思いをしている子どもを減らしたい。生まれてきてしまった以上、すべての子どもが幸せでいられるために出来る仕事はないだろうかと考えるようになって、スクールカウンセラーにたどり着いたんです。
大学時代は、とにかく勉強しました。臨床心理士を取るために大学院に行きたかったので、授業は絶対に休まない、取れる授業は全部取る、いい成績を取る、それで返済不要の奨学金ももらいました。児童相談所でのボランティアもしました。子どものケアに関わりたいという気持ちは、大学に入ってからも変わりませんでした。一方で、実際に学び、現場にふれる中で進路に対しての気持ちに変化がありました。大学院に進んで臨床心理士の資格を取れたとしても、仕事の枠があまりに少ないことがわかり、現実的じゃないと感じたんです。結果、大学を卒業して就職を選びました。
大学生時代の生理の変化はありませんでした。とくに印象もないです。振り返ってみると、大学で人の心やケアについて学んだけれど、生理も含めて自分自身をケアする発想がなかったと思います。
この頃、アルバイト先で後にパートナーになる人と知り合い、お付き合いを始めました。最初からこの人と結婚するという直感がありました。元々、両親の不仲を見てきたせいで、まったく結婚願望はなかったのですが、不思議なもので直感的にそう思ったんです。相手も自分に対してそう思ったようで、社会人3年目のときに結婚しました。
20代、社会人になってから、生理や体調に変化はありましたか?
大学卒業後は、新卒でオーダーメイドジュエリーブランドに就職しました。世界に一つだけの宝物を作りに来られるお客様のカウンセリングを担当しました。
臨床心理学とかけ離れた世界に入ったように思われるかもしれませんが、実はつながっているんです。婚約など人生の節目に特別な自分だけのジュエリーをつくることは多くの方にとって初めての経験で、どうしたいか言語化したり、決めることは難しいことです。だから、カウンセラーとして相手の希望や背景を引き出し、汲み取りながら形にしていくことは、人の心に向き合う仕事でもありました。
会社では、接客のための所作や身だしなみも徹底されていました。歩き方、姿勢、メイク。友達の結婚式に行くような華やかな身だしなみが、仕事のスタンダードでした。私は、与えられた役割に合わせて自分を作ることが得意だったのだと思います。研究熱心だったこともあり、ちゃんとその色に染まりきっていて、今とはまったく違う装いでしたね。
その会社は、2年ほどで転職しました。仕事は充実していましたが、土日に休めない仕事で無償の残業も多く、長く続ける仕事ではないと思っていたんです。入社時からの目標にしていた、自分の結婚指輪をつくることを叶えて転職しました。
転職先は、ドラッグストアで扱われるプライベートブランドの商品開発に関わる会社です。紹介予定派遣で入り、1か月後に正社員になりました。私は求められたことを全力で行うタイプで、探究心も強い方だと思うので、仕事自体は楽しかったのですが、職場の人間関係に強いストレスを受けるようになりました。職場の特定の人から強く当たられるようになったんです。
その影響は体調に現れました。ひどいニキビ、味覚がなくなり、眠れない、いきなり涙があふれるなど、今思えば、かなり追い詰められていました。さらに、生理周期にも影響が出ました。25日だった周期が、22、23日など、さらに早まるようになったんです。いつ来るかわからないのが不安で、21日目くらいからナプキンをつけ始めることもありました。そんな状態だと1か月のうち、ナプキンをつけている時間がとても長くなる上に、予定も立てにくくて、最悪でした。
この状況が変わったのが、低用量ピルとの出会いです。最初はニキビをどうにかしたいと思ったことが始まりでした。肌にいいと言われるもので試せるものはすべて試したのに、まったくよくならなかったんです。そこで、女性ホルモンの影響を疑い、婦人科に行きました。処方された低用量ピルを飲み始めると、私には効果てきめんで肌荒れが改善したんです。それ以上に驚いたのは、常に自分をむしばんでいた自己嫌悪や死にたいという感情が、薄らいでいったことでした。小学生の時から当たり前のこととして抱えてきたので、ピルでよくなるなんて思ってもいませんでした。生理周期も整うし、自分にとってはいいことづくしでした。ピルを飲み始めたことで、生理やホルモンが自分の心身に影響を与えていることに初めて気づきました。
それまで生理は、ただ来るもの、隠すもの、耐えるもの、振り回されるものだったけれど、この頃から少しずつ、自分でコントロールできるものになっていったのだと思います。
この頃から、生理について人と話せるようにもなりました。むしろ、これは周りの人にも伝えたいと思うようになりました。悩んでいる人は多いはずだし、自分からは言えない人もたくさんいるはずだと思ったんです。自分の体験を話すと「私も試してみようかな」と言ってくれる人が少しずつ出てきました。その人たちが「すごく楽になった」「今まで何だったんだろう」と話してくれると、さらに、必要な人には届いてほしいと思うようになりました。昔の自分からは信じられないくらい、生理の話をできるようになりました。
30代になってから、仕事や生理との関係はどう変わりましたか?
30代前半で、転職しました。転職するまで、当時の職場での人間関係のしんどさはずっと続いていました。特定の人との不和だったので、まわりの人からは「嫉妬だから気にしなくていい」と言われることもありました。でも、実際に自分の担当範囲でミスや問題が起きている部分もある。それをすべて人間関係だけのせいにして終わらせるのは、自分の中では違うと思っていました。だから私は、自分の担当範囲で問題になり得ることを、全部つぶそうと思いました。他の人がそこまでやっていないようなことも含めて、できる限り全部整えました。自分の落ち度をすべてつぶし終わって、自分の中ですっきりして辞めました。
その後、今も勤めている会社に転職しました。医薬品や衛生雑貨品を手掛けるメーカー傘下の、ブランディングやマーケティング支援を行う会社です。
前職で携わっていたプライベートブランドの商品開発は、ナショナルブランドの類似品的なポジションで、そこに限界を感じていたんです。ナショナルブランドの商品にも、「ここが嫌だ」「ここが使いにくい」という声はある。だったら、ただ安いから、ただ多いから、で選ばれるものではなく「これがいい」と思って選ばれる商品を作ることもできるはずだと思っていました。妥協ではなく、選ばれるものを作る仕事がしたかったんです。今の会社では、商品アイデアを出したり、コンセプトづくりを支えたり、マーケティングリサーチの仕事をしました。
30代も変わらず低用量ピルを服用していました。おかげでフラットに生活できるので、生理が仕事や生活の支障になることは以前と比べて格段に少ない状態でした。
30代後半、仕事のテーマや身体の変化はありましたか?
2020年頃は、自分にとって大きな転機でした。コロナ禍で、これから社会がどう変わっていくのかを考える機会がありました。その中で、サステナビリティやヒューマニティ、フェムテックの話が、自分の中で一本の線につながっていったんです。以前から携わっていた女性の身体に関わる商品や、女性の人生に関わるブランドが、もっと広い視点でつながることで、できることがあるのではないかと思ったんです。ルッキズムや女性の生き方に対しても、これから企業はきちんとアップデートしなければいけないのではないか、そんなことを考えるようになりました。
女性が、自分の人生を主体的に選び取り、自分の人生の舵を握って生きていくこと。それは、私にとってずっと変わらないテーマでした。子どもの頃から、自分の居場所を得るために役割を果たそうとしてきたこと。子どものケアを通じて、親(特に母親)のケアの重要性に気づいたこと。仕事で、誰かの希望や困りごとを聞きながら形にしてきたこと。そして、ピルによって自分の生理に主導権を持てるようになったこと。それらが、全部つながって見えました。それから、仕事がさらに楽しくなりました。自分の中で、ばらばらだったものが一本につながった感覚がありました。
身体の面では、37歳くらいから変化を感じるようになりました。冬なのに、妙に暑いんです。汗をかくわけではないけれど、脳に熱がこもっているような感じがありました。プレ更年期を疑いつつ、冷凍庫で凍らせた保冷剤を頭に巻いて仕事をしたりと、自分なりの対処をしていました。身体の変化として明確に覚えているのは、それくらいでしょうか。
40代に入り、今に至るまで、生理や身体との関係はどう変わりましたか?
40代に入ってからも、低用量ピルを飲み続けています。40代になると、医師によってはピルの処方を断る方針もあると思うのですが、私の主治医は、血液検査などをしながら飲み続けていいという方針です。
ただ、最近は少し変化も出てきました。5日間だった生理が、今は8日間ほど続くようになりました。ピルを飲んでいるのに、ズルズル長引くんです。
他にも、生理が終わったと思ったら、2週間経たないくらいで、不正出血のようなものが起きることもあります。ピルを飲み忘れたわけではないのに出血があったりするので、まさに病院に行かなければと思っているところです。これが更年期なのか、ピルを飲んでいてもそういうことがあるのか、自分でもわかっていません。
妊娠や出産については、どのように考えてきましたか?
子どもを産むかどうか、結婚前から考えていました。自分の生育環境ゆえ、子どもを持つことには怖さがありました。さらに、夫は繊細な人で、私の方が一般社会でサバイブしやすいと感じていました。夫に何かあったときに、私はこの人を背負うことはできるし、そのつもりもある。でも、そこに子どもまで背負えるのかと考えると、それはリスクだと思いました。子どもがいることで、お互いに譲れたことが譲れなくなるかもしれないし、かつての両親のようになりたくありませんでした。
学生時代に里子に関わるボランティアに行っていたこともあって、血のつながりがなんぼのもんじゃい!と思っていました。もし可能なら、今行き場がない子を引き取って、一緒に暮らして、「実の親とか関係ない」と思えるくらいの愛情を注ぐほうが、自分にとって意味があるのではないかとも思っています。
子どもを産まない選択をしたことに、後悔はありません。
生理をふりかえって、いま何を思いますか?
私にとって生理は、ずっと「うざい」「憂うつ」なものでした。
初経のときは、何が起きているのかわからなくて、本気で死ぬのかもしれないと思いました。生理だとわかってからも、安心したというより、「女性になること」を身体から突きつけられたようで、別の絶望がありました。
その後も、生理はただ面倒なだけではありませんでした。お腹が痛い、だるい、眠い、ナプキンが不快、いつ来るかわからない。そういう身体的なしんどさに加えて、自己嫌悪や「死にたい」という気持ちを、自分の性格だと思ってずっと抱えていました。
だから、ピルを飲み始めて、ニキビだけでなく気持ちの重さまでふっと軽くなったときは、本当に驚きました。自分を責めていたものの一部が、身体やホルモンの影響だったかもしれないと知ったことで、救われた感覚がありました。
ピルによって、生理との関係も大きく変わりました。それまでは、生理に振り回される側でした。それが、自分が主導権を持てるようになりました。昔の私のように、つらい思いをしている人がいるなら「それはあなたのせいじゃないかもしれない」と伝えたいです。身体のことを知ることや、選択肢を持つことは、自分の人生の舵を取り戻すことです。
一方で、今も生理が好きになったわけではありません。やっぱり、うざいし、憂うつです。長期間生理を起こさせないピルを飲んで長く生理がない期間を経験すると、その快適さには驚きます。生理がないだけで、こんなに楽なのかと思います。でも最近は、たまに来る生理を、身体を強制的に休めるきっかけとしても受け取るようになりました。私は、放っておくとずっと走り続けてしまうところがあります。仕事をしたり、考えたり、動き回ったり、際限なく続けてしまう。そんな自分にとって、生理は「今日はもう家でゆっくりしよう」と身体が止めてくれる日でもあるのかもしれません。
注釈:「わたしの生理」では、いろんな世代・環境の方が、生理とどのように向き合って暮らしてきたのか記録し共有することで、隠されがちな生理を考えて話すきっかけにしたいと取り組んでいます。特定の商品やサービスまたは対処法を推奨するものではありません。掲載されている内容はその方個人の体験ですので、感じ方には個人差があります。気になる症状などがある際はご自身で医療機関にご相談ください。